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大阪桐蔭でも履正社でもなく…なぜ山口の私立高を選んだ? 20校以上が勧誘した“スーパー中学生”の争奪戦「無理かなと思った」高川学園関係者が明かすウラ側
posted2026/03/13 06:01
20校以上が勧誘した“スーパー中学生”の争奪戦ウラ側
text by

井上幸太Kota Inoue
photograph by
Hideki Sugiyama
◆◆◆
20校以上から勧誘されていた木下瑛二は、なぜ山口の私立高を選んだのか。
高川学園の部長・西岡大輔が初めて木下を見たのは、中学2年の春。岡山県で開催されたヤングリーグの全国大会での登板だった。当時創部3年目で聞きなじみのない「高松庵治ヤングストーンズ」という新興勢力が擁した、まだ細身の右腕が目に留まった。
本当に中学2年生? 初めて木下を見た日
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「当時、庵治ヤングにいい左の3年生がいて、左のエースが彼、右は木下、という感じで起用されていました。とにかく投げっぷりがよかった。最初に見て、この子も3年生なのかなと思ったほどでした」
高川学園の監督、松本祐一郎が、視察から帰郷した西岡の様子を思い起こす。
「『こんなピッチャーがいたんです!』と報告をくれたときの目が輝いていましたね。相当惚れ込んでいるんだろうなと思いましたよ」
そこからは可能な限り木下へアプローチした。練習を視察しようと香川を訪れ、大会だけでなく練習試合にも足を運んだ。だが、木下の評判は広がっていた。
超強豪校が関心も…「希望があった」理由
兵庫であった練習試合に駆け付けると、バックネット裏に甲子園優勝監督がズラリと並び、木下の一挙手一投足に熱視線を送る様に出くわした。さすがに、この光景には「無理かなと思った」と壁の高さを痛感したという。
時間は有限である。木下を諦めて、獲得が見込める選手の視察に切り替える方が得策ではないか。撤退が頭をよぎってもおかしくない状況で、ある“推測”が、西岡を踏みとどまらせた。木下の中学野球の選択だ。
「木下は小学生時代、タイガースジュニアに所属していました。その実績があれば、中学のチームも選択肢はたくさんあったと思うんです。そのなかから、チームの立ち上げから間もない庵治ヤングを選んだ。ということは、歴史を作っていきたいタイプなんじゃないかなと」
さらに、木下の左手にはめられたグラブが、この仮説に強度を与えた。

