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「朗希は友達でもあり指導者」「ケツ叩いてくれた」ドジャース・佐々木朗希の“高校同級生だけが知る”リーダー性「もう時効なので…」明かした当時の伝説
posted2025/09/29 06:01
佐々木朗希(写真中央)と、大船渡高校の仲間たち(2019年夏の岩手大会にて)
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NumberWeb編集部Sports Graphic Number Web
photograph by
Asami Enomoto
「もう“時効”なので言えますけど、本当は9時半までに絶対にグラウンドを出なければいけないところを、あと30分くらい見えないところで練習していた」
大船渡高校時代、佐々木朗希の同級生として甲子園を目指した柴田貴広さん。現在は不動産会社の営業職として働く柴田さんが、「あの夏」とその前後の物語を語った。
同級生が見た「佐々木朗希の素顔」
中学時代は打者としての出場が多かった佐々木は、「対戦相手のスゴいやつ」でしかなかった。しかし高校で初めて投げる姿を見た時、その衝撃は大きかった。
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「とにかく球が速かった。当時から140km後半は出ていたので、普通の高校生からしたらバケモンみたいなもんです。だから一瞬で諦めました。入る前は『エースナンバー取りてえ』って思っていたんですけどね。朗希をひと目見て、あ、無理だなって」
佐々木は自然とチームのリーダーとなり、投手コーチのような役割も担っていた。
「なんかもうレベルが違うっていうのは分かっていたので、みんな朗希に色々なことを聞いていました。僕らの気が抜けていると『今のままじゃ甲子園行けないよ』ってケツを叩いてくれたり。友達でもあり指導者というか、あらゆる意味で朗希が引っ張っていたチームでした」
練習に厳しい佐々木自身も、規則を破ってまで練習に励んでいた。メジャーリーガー・佐々木朗希の“原点”は、記事本編にて詳しく描かれている。
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この文章の本編は、以下のリンクからお読みいただけます。
