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田中将大200勝のウラで…早稲田実業“あの甲子園優勝メンバー”今何してる? 広告代理店、商社、生命保険に「転職組」も…駒大苫小牧と19年ぶり再戦
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柳川悠二Yuji Yanagawa
photograph byMasaki Fujioka
posted2025/10/01 11:01
2006年、夏の甲子園決勝カードが19年ぶりに実現。37歳になった早稲田実業メンバーたち
「(駒大苫小牧の主将だった)本間(篤史)君と一緒にこの野球場を作ってきて、5月に完成した。まずあの日のメンバーで野球をやろうとなったのが今回の試合を開催することになったきっかけです。高校時代はみんなが同じ勉強をして、同じ練習をして、同じ目標を共有していた。卒業後、それぞれの分野で活躍して、みんなそれなりに会社で偉くなったり、家庭を持ったりするなかで、こうして集まれば高校時代の関係性に戻ることができる。それって素晴らしいことじゃないですか」
37歳になった斎藤はそう言って破顔した。
商社、広告代理店…目立つ「転職」
参加したのは早実チームが9人、駒大苫小牧チームが16人だ。現在、商社勤めで海外に赴任している早実の捕手・白川英聖のようなOBもいて、あの日のスタメン全員が揃うことはなかったが、それでもほぼほぼフルメンバーが揃い、2006年8月20日および21日のラインナップを踏襲していた。
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そして19年前と同様、駒大苫小牧が先攻、早実チームが後攻で、斎藤が真っさらな1回表のマウンドに上がる。地元の少年野球の団員たちが見守り、声援を送る中で、11時になって球審の「プレイボール」の声が牧歌的なスタジアムに木霊する。あの夏、ハンカチ王子と呼ばれた甲子園のヒーローは1回表を三者凡退に抑えた(この日の試合は、はらっぱスタジアムのマウンドからホームまでの距離を18.44メートルに調整し、軟式球で実施。7回制)。
19年前の決勝において、駒大苫小牧チームの先発は、体調不良を抱えていた田中将大ではなく、2年生の菊地翔太だった。この日の再戦でも先発は菊地だ。早実チームの1番は中堅手の川西啓介。斎藤らの1歳下で、19年前の甲子園でもトップバッターで出場し、早大でも活躍した小柄な俊足外野手だった。
川西は大学卒業後に入社した大手広告代理店の電通を退社し、現在は動画配信やECサイトを運営する大手企業に勤める一方、中学時代に励んだ横浜青葉リトルシニアでコーチも務めている。その川西は初回、打者が一巡して回ってきた2度目の打席で、特大の3ランを放ってみせた。


