甲子園の風BACK NUMBER
「試合終了ー! あれ…先輩が怖い顔」元NHKアナが体験した“甲子園の魔物”「一番忘れられない」のは大阪桐蔭vs履正社より“公立校の広陵撃破”
posted2025/08/18 11:03
大阪決戦となった2017年センバツ決勝をはじめ、多くの名場面を実況席から見届けてきた元NHK豊原アナ。だが意外にも、甲子園には苦い思い出がある
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谷川良介Ryosuke Tanikawa
photograph by
JIJI PRESS
のちにラグビーW杯、オリンピックなどで名実況を残した元NHKの豊原謙二郎アナウンサー。甲子園でも2017年センバツ決勝(大阪桐蔭-履正社)の大阪対決など、多くの名勝負を実況してきたが――真っ先に思い出すのは苦い記憶ばかりだという。
「私のスポーツアナウンサー人生も短かったなと思いました(笑)」
当時大阪局に配属されていた豊原アナに“初鳴き”と言われる甲子園初実況の機会が巡ってきたのはNHK入局7年目、29歳の夏のことだった。
「給料もらっていいのか」葛藤した若手時代
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2002年夏の甲子園1回戦、優勝候補の智弁和歌山が初出場の札幌第一を迎えた一戦。ラジオ中継の実況を任された豊原アナは、これまで積み上げてきた特訓の成果を生かすべく用意周到な準備で放送席に座った。
「歳の近いアナウンサーがバグダッドや同時多発テロの現場でヘルメットをかぶってレポートをしている。一方、自分はまだ甲子園で実況すらできていない。万博球場や西京極の野球場の芝生に座りながらブツブツ言葉を発して練習する日々で、これで給料をもらっていいのかと忸怩たる想いがあったころでしたね」
そんな思いがあったからこそ、初実況は心に期すものがあった。
試合は緊迫した展開だった。智弁和歌山が初回に幸先よく先制したものの、対する札幌第一の先発・野辺公曜が140キロ台中盤の速球を軸に強打をねじ伏せ3回から5回までノーヒットで抑える好投を見せていた。智弁和歌山は6回と7回に3点を加えて突き放したが、札幌第一が8回裏に1点を返して反撃を始めると、ついに9回裏に同点に追いついた。札幌第一の逆転を期待する特有の空気が球場を包み込む。これが“甲子園の魔物”か――豊原アナにも異変が起きた。


