甲子園の風BACK NUMBER
PL学園の暴力事件…原因は本当に野球部だけにあったのか? “事実上の廃部”から9年…地元はひっそり「ほんまにがっかり」PL花火も消えた夏
posted2025/07/29 11:06
PL学園が出場した最後の夏の大会。2016年夏、初戦の2回戦で敗れて泣き崩れる選手
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柳川悠二Yuji Yanagawa
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JIJI PRESS
野球部で暴力問題が連発し、いよいよ業を煮やしたPL教団が、監督に野球経験者を置かず、野球素人の校長が監督を兼任していたのが2014年だった。
私が初めてPL教団の聖地を訪れたのもその年の夏だった。
野球素人の校長が監督に…PL混迷期
大阪大会決勝で大阪桐蔭に敗れたPL学園が、新チームをスタートさせて初めて行う練習試合に足を運んだ。野球部が練習を行うAグラウンドや研志寮は、学校の校舎から1.6kmほど離れていて、最寄りの駅は富田林駅となる。敷地内に入るには本庁の受付で名前と連絡先を記入する必要があったが、当時はたとえ信者でなくとも聖地内に入ることが許され、野球部の練習や試合を見学することも可能だった。
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そして、当時の校長にして野球部の監督を務めていた正井一真氏のインタビューに成功する。なぜ野球経験のない校長が監督を務めているのか――率直な疑問をぶつけると、正井氏は「監督にも信仰心が求められるんです」と答えた。
さらに彼はこう続けた。
「かつては、教団からの寄付という形で特待生を受け入れていましたが、今年の入学生から廃止しました。かつてと同じようなやり方はできません。一般の生徒と同じように学園生活を送りながら、信仰心を持って、その中で甲子園を目指していく。野球選手としてだけでなく、人間として人から支持されるような人材を育成したい。むしろ、以前より理想を高く持とうというのが、現在の学園の考え方です」
弱者に寄り添うべき宗教団体として、度重なる暴力事件はとても看過できるものではなかったはずだ。野球部員の厳格な上下関係の是正を求め、隔離された研志寮での暮らしもやめて、一般の金剛寮に拠点を移すような改革も行った。
繰り返された暴力…野球部だけが原因か?
それでも暴力事件は繰り返された。業を煮やした教団は、2013年に起きた暴力事件後、いよいよ廃部に向けて舵を切る。それが正井氏にインタビューしたタイミングだった。
信者数の激減によって財政が逼迫し、PL教団は全国に200以上あった教会の統廃合を進めた。野球部を愛した2代教祖が死去したあと、3代教祖となった御木貴日止氏の体調の不安も伝わってきていた。
本当に野球部だけが問題だったのか。

