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阪神で24人戦力外「もうしんどいよ」クビ通告された選手の反応は? 阪神元編成部長が明かす“戦力外が決まるまで”…死去直前の星野仙一が言ったこと
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岡野誠Makoto Okano
photograph byJIJI PRESS
posted2025/07/08 11:01
金本知憲の獲得に沸いた2002年オフ。同時に阪神では、24人の選手がリストラを言い渡されていた
「『……うーん』って考え込む選手はおりましたけど、最後には『わかりました』となりますね。呼ばれた時点で、選手もわかってますよ。『しっかりやっとけば良かったです』という言葉がほとんどですね」
14人もの日本人選手に解雇の理由を告げるだけではなく、就職の世話もした。年末までに大半の選手の所属先が決まった。
「普段から一般企業の上の人と交流を持ちました。野球が好きで、元選手の面倒を見てくれそうな人です。根本さんから『人との付き合いを大事にしなさい』と言われていましたから」
星野仙一は最期、黒田に言った
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血の入れ替えを断行した03年、開幕から独走し、星野監督が甲子園で宙に舞った。その裏には黒田が遂行した“誰もが嫌がる仕事”があった。闘将は逝去する1カ月前、野球殿堂入りのパーティーを開いた時、自分の控え室に黒田を呼び寄せた。
星野:ありがとうな。
黒田:何言うてんですか、今ごろ(笑)。
「膵臓がんやったんやね。全然知らんかった。星野さんはずっと立ってましたわ。今思えば、座るのも辛かったんやろうね。あれが最後の会話でした。ああ、感謝されたんやなと」
クビを告げられる選手がいれば、言い渡すフロントもいる。辛い役目であっても、誰かがやらなければならない。根本陸夫に資質を見抜かれ、野村克也に呼び寄せられ、星野仙一に活用された黒田正宏の存在なくして、今のタイガースはあっただろうか。
実は、「大量解雇」の後に敢行された「大量補強」でも、黒田は根本譲りの“策士”ぶりを見せていた――。
〈つづく〉

