プロ野球PRESSBACK NUMBER
鳥谷敬の“巨人入団”なぜ消えた? 巨人優位がまさか…阪神入りを表明「黒田さん、僕が監督辞めたから取れたんですね」原辰徳が阪神編成部長にポツリ
posted2025/07/08 11:05
2003年オフ、鳥谷敬をめぐる争奪戦は阪神が制した
text by

岡野誠Makoto Okano
photograph by
JIJI PRESS
中村紀洋の阪神移籍が消滅した。黒田はどう感じたのか。
「僕らは、ホッとした面もあったな。高かったからなあ。中村紀の年俸を考えてみいな」
2002年は推定5億円であり、FA交渉では当然上積みされる。7億、8億まで行ったのか。
ADVERTISEMENT
「そこまでじゃないけど、(やや低めでも)5年契約したらえらいこっちゃ。オーナーも最初は金庫を開けてくれたけどね。星野さんも『ウソ!?』と驚いてましたよ。でも、年末には閉めていた(笑)。ノリはきっちり礼を尽くす人間だから、メッツ入りの速報が流れた後、24時頃に『迷惑かけてすみません。近鉄に残ります』と電話かかってきましたよ」
思いもよらぬ展開で、中村紀洋争奪戦は阪神、巨人ともに白星がつかなかった。
鳥谷敬の争奪戦…巨人有利だった
莫大な資金を背景に補強を進める巨人に、阪神が勝った例もある。03年、ドラフト自由枠で鳥谷敬の争奪戦が繰り広げられた。当初、8球団が獲得に名乗りを上げたが、夏に阪神、巨人、横浜、西武の4球団に絞られた。鳥谷は東京出身で埼玉の聖望学園高から早稲田大学に進学。条件の1つに「人気球団」も挙げており、在京の巨人が圧倒的に有利と考えられていた。
阪神の内野守備走塁コーチを務めていた岡田彰布はのちに、著書でこう綴っている。
〈鳥谷を巡っては、巨人との一騎打ちだった。巨人も攻勢を仕掛けていたようで、原辰徳監督とも会っていたと鳥谷自身が言っていた〉(14年3月発行/書籍『そら、そうよ』)
一軍監督はスカウト登録をしているため、接触しても問題はない。この時、コーチでは珍しくスカウト登録をしていた岡田も、大学の後輩である鳥谷と会合を重ねていたという。黒田が振り返る。

