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「日本では窮屈さを感じていた」長嶋茂雄25歳が“普通の若者”に戻った日…あの“国民的スター”との青春秘話「最後まで裕ちゃんの中に茂雄ちゃんが…」
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安藤嘉浩Yoshihiro Ando
photograph byBUNGEISHUNJU
posted2025/06/04 17:34
6月3日に89年の生涯を閉じた「ミスタープロ野球」長嶋茂雄。誰もが知る国民的スターにも、“普通の若者”として過ごせる時間があった
長嶋茂雄25歳が“普通の若者”に戻った日
石原夫妻と長嶋さんは1962(昭和37)年1月に約2週間、一緒にアメリカを旅行している。長嶋さんにとっては、前年に大リーグで61本塁打(当時シーズン最多)を放ったニューヨーク・ヤンキースの強打者・ロジャー・マリスに会うなど、忘れられない旅になった。
日本を代表する若手映画スターとプロ野球界のスター選手が、マンハッタンの街中を飛び跳ねるように歩いていく。
「私は少し後ろを歩きながら、その様子を見ていたの。2人の後ろ姿が今でも忘れられないのよ。本当に楽しそうだったもの」
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まき子さんは目を輝かせながら懐かしんだ。
27歳の裕次郎さんと25歳の長嶋さん。
「世界は違うけど、日本ではそれぞれ似たような窮屈さを感じていたのでしょう。そんな2人がわずかな時間だけど、普通の若者に戻って、はしゃぎ回れる時間を持てたのですね」
13年前の取材では、「昭和歌謡界の女王」と呼ばれた美空ひばりさんの関係者にも話を聞いている。長嶋さんが若いころに親交を深めたのが石原裕次郎さんなら、王貞治さんはひばりさんと交流があったと聞いていたからだ。
3歳上のひばりさんの誕生会に招待されたのがきっかけだったという。ひばりさんの付き人を長く務めた人によると、王さんはひばりさんの家に集まる人々との会話を楽しみ、興が進むと、女王と一緒に「思い出のグリーン・グラス」を歌ったそうだ。
誕生会には、長嶋さんが招待されたこともあった。ところが、長嶋さんは予定時間より早く到着してしまい、ひばりさんを慌てさせたという。
「お嬢はまだ支度中でね。洗い髪のまま、おしゃべりをしていたのよ」
誕生会が始まるころには、長嶋さんの姿はなかった。いかにも、せっかちで有名な長嶋さんらしいエピソードだなあ、と感じ入ったものだ。


