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「日本では窮屈さを感じていた」長嶋茂雄25歳が“普通の若者”に戻った日…あの“国民的スター”との青春秘話「最後まで裕ちゃんの中に茂雄ちゃんが…」
posted2025/06/04 17:34

6月3日に89年の生涯を閉じた「ミスタープロ野球」長嶋茂雄。誰もが知る国民的スターにも、“普通の若者”として過ごせる時間があった
text by

安藤嘉浩Yoshihiro Ando
photograph by
BUNGEISHUNJU
長嶋茂雄さんの訃報に接し、昭和がまた遠くなったと感じているのは、ぼくだけではないだろう。
日本がどんどん成長した時代に、日本中を元気にしたスーパースターは、スポットライトを浴びていない時間もまばゆいばかりの輝きを放ち、青春時代を謳歌していた。
ベースを踏み忘れた日も「裕ちゃん」の家に…
数々のエピソードの中でも有名な「幻のホームラン」。左中間スタンドにボールを運びながら、一塁ベースを踏んでいないと相手チームからアピールされ、ホームランを取り消されてしまった。
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巨人入団1年目の1958(昭和33)年9月19日、後楽園球場の広島戦で起こした珍事だった。
その試合の後、22歳の長嶋選手は、あるスーパースターの自宅に立ち寄っている。
石原裕次郎さん――。その2年前の1956年に映画『太陽の季節』でデビューし、一気にスターダムに駆け上がった昭和の大スターである。
その翌1957年、母校の慶應義塾大学を相手に東京六大学野球リーグの新記録となる8号本塁打を放った選手に裕次郎さんは興味を持った。
「すげえやつがいるな」
立教大学4年生の長嶋選手だった。
朝日新聞の記者だった2012年に、裕次郎さんの妻・石原まき子さんに当時の思い出話を取材したことがある。
長嶋さんはプロ入りすると、裕次郎さんの家に遊びに行くようになった。裕次郎さんは1学年下の長嶋さんを「シゲ」と可愛がり、長嶋さんも「裕ちゃん」と慕った。
だから、「幻のホームラン」という珍プレーを生んだ日も試合後に遊びに来たと、まき子さんが教えてくれた。
「ほら、その時のバットがあるのよ。いつか茂雄ちゃんのお子さんにお返ししなきゃいけないと思い、大切にとっておいたんです」
幻のホームランを打ったというバットも見せてくれた。