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「キヨシ、今日は勝ったぞ!」“10・8決戦”を前にまさかの勝利宣言…数々の長嶋茂雄伝説を目撃した記者が明かす常識を超えた「長嶋野球のセオリー」
posted2025/06/04 17:02

1993年の開幕戦に勝利し、ウィニングボールとともに笑顔の長嶋茂雄監督
text by

鷲田康Yasushi Washida
photograph by
Kazuaki Nishiyama
長嶋野球とは何だったのか――。
長嶋茂雄巨人軍終身名誉監督が6月3日、永眠した。89歳だった。
現役時代から“燃える男”としてプロ野球界を引っ張ってきた長嶋さんは、1974年に現役を引退すると、翌75年から6年間、さらに93年から9年間、監督としてチームを率いた。通算15年間で巨人の監督としては歴代3位の1034勝をマーク。リーグ優勝5回、日本一2回の実績を残している。
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第1次政権時代には“地獄の伊東キャンプ”で投手の江川卓、西本聖や野手の中畑清、篠塚利夫ら、その後の主力となる選手を育成。また第2次政権でも愛弟子の松井秀喜をはじめ高橋由伸、阿部慎之助などの育成に手腕を発揮して、その後の巨人の礎を築いた功績は大きい。
その一方で独特な野球観に基づく監督術には様々な批判が飛び交った時期もあったが……。改めて長嶋野球とはどういうものだったのか、長嶋野球が平成の野球に残した影響を検証する。(文中敬称略)
10・8決戦前にいきなりの“勝利宣言”
「キヨシ、今日は勝ったぞ!」
1994年10月8日。巨人と中日がシーズン最終戦で優勝を賭けて激突した“10・8決戦”を前にナゴヤ球場の三塁側ベンチ前にこんな甲高い声が響いた。
声の主は巨人監督の長嶋茂雄。そして「キヨシ」と長嶋が語りかけたのは、当時巨人の打撃コーチだった中畑清だった。
決戦に向けてナゴヤ球場に乗り込んできた巨人ナイン。三塁側のベンチ脇からグラウンドに一歩、足を踏み入れた瞬間、中日ファンで埋め尽くされたスタンドからは異様などよめきが起こっていた。
その中で長嶋は後ろを歩く中畑に、いきなり“勝利宣言”をしたのである。
「ハッ?」
中畑は咄嗟に長嶋の言葉の意味が分からず、思わずこう聞き返してしまったという。
実は長嶋にはよく周囲の意表をつくような言動があった。しかも長嶋はその場で自らの言動の意味を多くは語らず、周囲は煙に巻かれて終わることが多かった。そこで人々も長嶋の単なるひらめき、動物的な勘から出たものだろうと深く追求せず、「またミスターが……」と片付けることが多かった。
長嶋本人から聞いた“勝利宣言”の根拠
ただ、実は長嶋のこうした言動の裏には、野球人としての鋭い観察眼に裏付けされたものが多くあったのだ。