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鹿島・鬼木達の“表情が変わった”ある質問「厳しい言い方をすれば…」古巣・川崎Fに“意外な本音”「(ACLEは)勝たないといけなかった」国立決戦ウラ側
text by

いしかわごうGo Ishikawa
photograph byMasashi Hara
posted2025/05/13 11:07
古巣・川崎フロンターレとの対戦で激しいアクションを見せる鹿島アントラーズの鬼木達監督。5月11日、国立競技場
「2位じゃダメだと一番学んできたチームだから」
その理由も、実に彼らしかった。言葉を選びながらも話し始める。
「なんて言うんだろうな。もちろん、相手も強かったし、日程的にも厳しかった。満身創痍だったと思います。でも、2位じゃダメだと一番学んできたチームだし、シルバーコレクターと揶揄されてきたチームだから、そこは悔しい思いがあります」
川崎フロンターレの監督として多くのものを獲得し、アジア制覇にも並々ならぬ執着を見せてきた鬼木だからこそ言える言葉に聞こえた。
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例えば6年半前の2018年11月10日、川崎が初のリーグ連覇をした日のことだ。その深夜、ACLを初制覇した鹿島の姿をテレビで目の当たりにして、「この舞台で(川崎の)選手たちをプレーさせたかった」と猛烈な悔しさが湧いてきたと話してくれたことがある。リーグ連覇を達成した日の夜だったにもかかわらず、である。
8年間の鬼木体制でACLには7回出場したが、結果的に初年度である17年のベスト8が最高成績だった。アジアの頂には辿り着けなかった。
思いを託したクラブが、その歴史を塗り替えたことを祝福したい気持ちは当然あったはずだ。しかし、それは言えなかった。自身がやり残した仕事だったからこそ、決勝で負けた悔しさも受け止めていたのだ。
「歴史を変えたので、本当は『おめでとう』と言いたいですけどね。でも選手たちやスタッフも絶対に悔しいと思うから。『おめでとう』は言いづらかったし、言えなかったです。自分が長くいた人間だからこそ、そう思う。だから『お疲れ様でした』は言えるけど、『おめでとう』とは言えなかった」
そう言い残した後、ここで時間切れとなった。周囲に挨拶した後、鬼木は慌ただしく出発するチームバスに乗り込んでいった。
前指揮官の思いも背負って戦い抜いたアジア制覇の挑戦は幕を閉じた。
そしてACLEファイナル後、巡り合わせのように組まれた前指揮官との初対戦は、黒星を喫する結果となった。
こうした敗北と、どう向き合い、次に進んでいくのか。
大きな大会を終えた後だからこそ、クラブとしてそれを問われているような気がした。そして長谷部フロンターレの本当の戦いが、ここから始まっていくのだろうと思った。


