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箱根駅伝PRESSBACK NUMBER
「青学大・箱根駅伝4連覇を支えた無双のエース」や「あの金髪個性派ランナー」も…今年現役に別れを告げる選手たちを大調査!<一覧リスト付>
text by

佐藤俊Shun Sato
photograph byYuki Suenaga
posted2025/03/25 11:04
2015年に進学した青学大で無双の活躍。卒業後はGMOインターネットグループで走った森田歩希も引退
金髪の個性派ランナー福田穣も
プロ経験もある福田穣(ひらまつ病院)は、3月の東京マラソンを最後に現役引退した。大牟田高校から09年国士舘大学に進学、3年時に第88回箱根駅伝に出走し、1区15位。独特の緊張感を味わい、大迫傑らと一緒に駆けたが、箱根はその1度きりの出走に終わった。
卒業後は八千代工業に入社、3年後に西鉄に移籍し、4年半活動した。その後、2020年7月にナイキがスポンサーになり、キプチョゲをはじめ世界の最強ランナーが集うNNランニングチームに日本人として唯一加入。プロ選手としてケニアを拠点に活動した。
2023年8月にひらまつ病院に加入し、ニューイヤー駅伝出場に尽力した。今年のニューイヤー駅伝では6区29位。実業団での駅伝出場回数は、9回を数えた。
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マラソンには、16年のびわ湖毎日マラソンで初挑戦。18年のゴールドコーストマラソンでは2時間09分52秒をマークし、サブテンを達成した。19年のMGCに出場(22位)した後、22年のゴールドコーストマラソンでマラソン初優勝を飾る。
髪の毛の色を金や青、赤などにたびたび変え、個性派ランナーとして爪痕を残してきた。今は「フリーター」という状態らしいが、これから指導をはじめ、どういう道を進んでいくのかが楽しみだ。
40歳まで走った「ミスター駅伝」岡本直己
岡本直己(中国電力)は、40歳まで戦い続けた。アスリートの限界年齢が年々上昇しているとはいえ、身体を追い込むマラソン、陸上でここまでやり遂げたのは厳しい自制と管理のたまもの。そして、走るのが好きという源泉が今も脈々と体の中に流れているからだろう。
03年に入学した明大では1年時、箱根駅伝の補助員をしていた。背中越しに他校の選手が走っていく中、来年は絶対に自分たちが走るんだと同期の仲間と誓った。2年時は14年ぶりに予選会を突破して明大を箱根に導き、1区16位。3年時は1区6位、4年時は2区9位をマークして卒業した。
中国電力に入社してからは駅伝力を発揮し、ニューイヤー駅伝はルーキーの08年、第52回大会から25年の69回大会まで18年連続で出場。都道府県駅伝は中3だった2000年から2024年アンカーとして走り終えるまで19回出場し、「ミスター駅伝」と称された。

