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「“黄金世代”って呼ばれたけど、ほんまにそうだったのかな」稲本潤一が引退後初めて語った仲間の絆…「今も家族ぐるみで」付き合うあの選手とは
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佐藤俊Shun Sato
photograph byAFLO
posted2025/02/14 11:01
1999年ワールドユースでの「黄金世代」。大会中にメンバーで頭を丸刈りにした、左から加地亮、高原直泰、中田浩二、稲本潤一、氏家英行、辻本茂輝
「俺らは、技術とかで負けていない自信がありましたし、代表に入ったら年齢も関係ないと思っていたので、遠慮することもなかった。試合に出る出ないを決めるのは監督だけど、それでも出ている選手には絶対に負けていない、という思いで俺らの世代はやっていたと思います」
「別格」だった中田英寿
ただ、稲本が唯一、別格の存在だと感じていた選手がいた。それが中田英寿だった。
「ヒデさんは五輪の最終予選の時に来たけど、もう雰囲気とか近寄り難くて、プレーのレベルも違った。同じピッチに立って感じたのは、競り合いの強さもそうだけど、個の強さ。それはちょっと伸二のうまさとかとは違う種類のものだけど、自分にはなかったもので、このレベルにいかないと世界では戦えないと思いました。でも、そこからですね。どうしたら世界に出られるのか、いろいろ探りを入れ始めた」
2002年W杯へ
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シドニー五輪を終え、選手の視線は2002年日韓W杯を戦う日本代表にシフトしていった。ボランチの候補選手は複数いたが、稲本が自分に言い聞かせていたことがあった。
「この頃は、ほんまに自分のプレーを思い切り出すことと、自分の得意なプレーをどこまで伸ばせるのかということしか考えていなかった。ボランチでゲームを作ることはできなかったけど、ボールを狩るプレーとか前に行くタイミング、スピードは自分の持ち味で、そのプレーで上のレベルに行きたいと思っていました。それがプレミアリーグでプレーすることに繋がったし、W杯のゴールにも繋がっていったんです」
稲本はトルシエの信頼を得て日本代表の主力となり、同世代からも小野、中田浩、小笠原、曽ヶ端準が日韓W杯を戦う代表メンバーに入った。そしてベルギー戦で2点目のゴール、ロシア戦では決勝ゴールを挙げた稲本は、世界的なブレイクを果たした。

