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「“黄金世代”って呼ばれたけど、ほんまにそうだったのかな」稲本潤一が引退後初めて語った仲間の絆…「今も家族ぐるみで」付き合うあの選手とは
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佐藤俊Shun Sato
photograph byAFLO
posted2025/02/14 11:01
1999年ワールドユースでの「黄金世代」。大会中にメンバーで頭を丸刈りにした、左から加地亮、高原直泰、中田浩二、稲本潤一、氏家英行、辻本茂輝
「日本が初めてW杯に出場することになり、俺らの世代も世界に目が向き始めたんですけど、伸二が代表に入ってW杯に出たことがすごく大きかった。代表や世界との距離がグッと近くなった気がしたし、俺らの世代に『次(のW杯に)は自分たちが出る』と思わせてくれるキッカケを作ってくれた」
「黄金世代」の誕生
その翌年、1999年のワールドユースに出場するU20日本代表に選ばれたのが、稲本を始め、小野、高原、小笠原、中田浩二、遠藤保仁、本山雅志ら“黄金世代”と呼ばれることになる選手たちである。彼らはグループステージをトップで通過すると、つづく決勝トーナメントではポルトガル、メキシコ、ウルグアイら難敵を退け、決勝に進出した。決勝戦、スペインには0‐4で敗れたが、準優勝という結果を残した。
「負けたけど、スペインとしっかりと向き合えたのは、良かったと思います。優勝していたら、海外に行きたいという気持ちが芽生えたかどうか分からないし、あそこでこてんぱんにやられたことで目が覚めた。
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俺らの世代はJリーグで試合に出て、勢いもあったけど、世界のトップとはまだ距離があるなっていうのを感じ取れたし、この差を埋めるには日本にいたら無理だなって思った。この経験が俺らを黄金世代と呼ばれるところに押し上げてくれたのかなと思います」
11分で交代の屈辱
ただ、稲本自身はこの大会の直前に怪我をしており、出場機会にも恵まれず、ほろ苦い経験になった。とりわけ厳しさを感じたのは、準決勝ウルグアイ戦でのシーンだった。後半開始に遠藤に代わって出場するも、11分で石川竜也と交代させられたのだ。屈辱的な11分に稲本の表情は凍り付いていた。
「あんなんないですよ(苦笑)。怪我明けだけど、後半頭から出して10分ちょっとで普通は代えないですよ。20分ぐらいは見るでしょ。だって、ここからエンジンがかかって良くなっていくかもしれないじゃないですか。
でも、バッサリいかれたんで逆に、トルシエってこういう決断をできるんや、すごい、と思った。やられた自分は、落ち込みましたけどね。でも、これもいい経験だった。その後のサッカー人生で、こういうことはもうなかったんで(笑)」
稲本は、それでも大会は楽しかったという。ナイジェリアという異国で1カ月近く寝食をともにし、戦ったことで、世代の絆が深まった。シドニー五輪に向けて宮本恒靖らワールドユースマレーシア大会組と一緒になっても、存在感はナイジェリア組の方があった。

