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湯が出ないシャワー、着替えは屋外「これはプロといえるのか」稲本潤一、引退前の6年間…「今後の指導者人生のために凄く良かった」
posted2025/02/14 11:03
川崎フロンターレの育成コーチに就任した稲本。引退後初めてにして唯一のインタビューに応じてくれた
text by

佐藤俊Shun Sato
photograph by
Asami Enomoto
28年の長い現役生活の中で、稲本潤一は12チームでプレーした。ガンバ大阪から始まり、アーセナルFCなど海外の強豪クラブ、そして関東サッカーリーグ1部の南葛SCまで、いろんな世界、カテゴリーのチームに所属した。
最も印象深いのは意外なクラブ
その中で一番印象に残っているチームは、どこになるのだろうか。
「ガラタサライかな」
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稲本は、06年から1年間だけ在籍したトルコのクラブ名を挙げた。
「そこで自分のプレースタイルがちょっと変わって、それがその後に活きたんで。それまでプレミアでプレーしていて、前に積極的にボールを獲りにいくプレーをしていたけど、ガラタサライではアンカーになって、うしろでがっちり構えてプレーするようになったんです。
みんなが上がっていくんで、自分も行くと真ん中がすっぽりと空いてしまうから、そこで構えてボールを奪い、前に繋ぐというプレーに慣れていった。自分のプレースタイルを貫いていたら、どうなったかなぁというのはあるけど、そういうプレーが評価されて、翌年フランクフルトに行くことになった。自分のプレースタイルが変わったという点ですごく印象に残っていますね」
日本復帰からの立場の変化
トルコでプレーした後には、ドイツ、フランス、そして日本に戻って川崎や札幌でプレーした。移籍を重ねても、新しいチームに加入する際には転校生のようにドキドキしたりするものなのだろうか。
「欧州で新しいチームに入った時は、言葉のこともあるんで最初は少し緊張するけど、ボールを蹴っていれば慣れてくる。日本に帰国してからは、逆にW杯のイメージや自分のキャリアを見て、周囲の選手が一歩引いて見ているのは感じました」
それでも、稲本が醸し出す柔和な雰囲気のせいだろう、ボールを蹴ると人が寄って来て、若手には「イナさん」と慕われた。海外での経験やW杯について聞いてくる選手もいた。


