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「さすがに使えないかな」青学大・原晋がボヤいた…「誰が4区を走るのか?」箱根駅伝前日、選手に告げた“選ばれなかった理由”…10年前の初優勝ウラ話
text by
生島淳Jun Ikushima
photograph byNanae Suzuki
posted2025/01/24 11:03
青学大を率いる原晋監督(写真は2025年)
「和希、いまは泣いてもいい。でも、監督の前に出たら何事もなかったように、ちゃんと話すんだぞ。まだまだ行けますって。さあ、顔洗って」
そういって高木は先に出て、他の選手たちの練習を見に戻った。
田村は水道でじゃぶじゃぶと顔を洗い、気持ちを落ちつかせてから、監督の前では気丈に話したようだった。目をまっ赤にしながら――。原が田村の異変に気づかないはずはない。
「さすがに使えないかな」
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翌日、12月14日に「追試」が行われたが、そこでもまた田村は失敗。12月17日の30キロ走では、脱水症状が出てしまった。
「さすがに使えないかな」
原も田村の状態を見て、残念そうに話した。箱根を走るためには、ある程度は部員の納得を得なければならない。説明責任といおうか、しっかりと練習を積んだ者が走らなければ部員の士気に影響する。田村はそのハードルをクリアできていなかった。
この12月中旬が田村にとってどん底の時期だった。少し休養を取ったこともあり、このあとから年末にかけて、どんどん調子が上がってきた。
走る姿が軽やかになり、前への推進力が出てきた。山口出身で朴訥な田村だが、表情もどんどん明るくなっていった。
谷底から、抜け出たのだ。
12月29日には10区間のエントリー発表が行われるが、その時点でも、さらに日にちが進んで大晦日になっても、誰が4区を走るのか、原は明言しなかった。
元日に発表された「4区の出走者」
お正月を迎えた。
元日の朝も、高木は気を抜けない。翌日の往路を走る選手の体に刺激を入れるため、軽めの練習メニューを課すのだが、少しでも妙な動きがあれば見逃してはならない。そのためにずっと、ランニング・フォームを観察してきたようなものだ。そしてようやく、原は4区を走る選手を決めた。
田村だった。
高木としては田村にべストのレースをしてもらいたい。でも、前日まで緊張感のなかで練習を積み重ねてきた山村と中村の失望も分かる。監督はそれぞれ個別に「選ばれなかった理由」を伝えていた。