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「さすがに使えないかな」青学大・原晋がボヤいた…「誰が4区を走るのか?」箱根駅伝前日、選手に告げた“選ばれなかった理由”…10年前の初優勝ウラ話
text by
生島淳Jun Ikushima
photograph byNanae Suzuki
posted2025/01/24 11:03
青学大を率いる原晋監督(写真は2025年)
山村には、4区というスピード区間を走るにはトラックでの速さが足りない、と。逆にトラックに強い中村にはロードでの粘り強さが欲しい、と。
ふたりにとって、事実を伝えられるのは精神的に厳しかったはずだが、この経験をプラスに出来るかどうかは今後の精進次第だ。
そして午後になり、往路の選手たちはそれぞれの宿舎にむかうが、合宿所を出るときに部員全員が総出で見送ってくれた。山村、中村も一緒に。
箱根の前日、高木は大手町で…
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高木は1区を走る久保田の付き添いということもあって、都心のホテルに投宿した。レース前日、ここまで選手たちは素晴らしい仕上がりを見せていたこともあり、早くレースが始まらないかと興奮が収まらなかった。
2015年1月1日、夜。
お正月の東京・大手町は静かだ。明日スタートする箱根駅伝の関係者たちだけが、いそがしく立ち働いていた。高木はホテルから読売新聞本社前まで歩いてきていたのだ。
いまは、人影もすくない。しかし朝を迎えれば、選手たちを十重二十重(とえはたえ)のファンが見守る。まさに、興奮の前の静けさ。
この場所には、過去の優勝校の名前を刻んだプレートがある。高木は思った。
「青山学院大学って、刻まれたいな」
そしてそのプレートを、スマートフォンのカメラで写真に収めた。歴史を変えられるかどうか――。
勝ちたい。胸に湧き出てくる思いは強かった。その気持ちを抑えるように、高木はアスファルトを踏みしめながらホテルに戻った。
神野大地の衝撃
翌朝はまだ日が昇らないうちの、3時に起きた。1区を走る久保田の朝練習に付き合うためである。選手たちを万全の状態にもっていくには、レースの5時間前には目を覚まし、それから体に起きてもらわなければならない。8時にスタートする1区や6区を走る選手は数日前から、深夜といっていい時間に起きて体を慣らしておく。
そして2015年1月2日午前8時。号砲が鳴った。