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報道陣の前で涙「大人が怖かった…」15歳で日本代表・宮下遥を苦しめた“ポスト竹下”という重圧…天才少女が「大好きな沙織さん」から逃げた日
text by
田中夕子Yuko Tanaka
photograph byJun Tsukida/AFLO SPORT
posted2024/07/26 11:04
日本代表に初選出された当時15歳の宮下遥(2010年)
「もともと本音をペラペラしゃべるような性格じゃないし、私の何を知りたいんだ?って不思議で仕方なかったんです。自分が話したことが記事になったり、映像になって広まっていくこと自体が当たり前じゃなかったし、大げさかもしれないけど、いつか家に押し寄せて家族が襲われるんじゃないかとか、それぐらい怖かった。寄ってくる人が一気に増えたので、先生からも『これから遥のところに集まってくる大人はいっぱいいるけど、誰彼構わず信用して、しっぽ振って自分から寄っていくような選手になっちゃダメだぞ』と言われて。私はまだ子どもだったから、その本当の意味も理解できていなくて『大人は敵だからツンケンして追っ払えばいいんだ』と考えていました」
岡山シーガルズには未熟な宮下を守ってくれる環境があった。しかし、宮下がメディア対応の難しさ、想像もしないほど多くの人たちに注目される環境の中で生きる厳しさを思い知らされたのは、ロンドン五輪で女子バレー日本代表が28年ぶりの銅メダルを獲得した翌年、2013年のことだった。
宮下を苦しめた「ポスト竹下」という期待
竹下が現役引退し、19歳の宮下はリオ五輪へ新たなスタートを切る日本代表の正セッター候補として抜擢された。15歳の頃は話題性と可能性が先行していたが、2013/14シーズンはチーム初となるファイナル進出を果たして準優勝という最高順位も達成するなど、岡山シーガルズで試合経験を重ねていた。世界と渡り合う上で大型セッターを待望する声も多く、178cmの宮下はまさにうってつけの存在だった。
本格的な日本代表デビューは、2013年ワールドグランプリ。現在のネーションズリーグの前身大会で世界各国を転戦。トルコ、ポーランドでの戦いは毎日が「いっぱいいっぱいだった」。続いて戦いの舞台は日本へ。新生日本代表のお目見えとなった仙台ラウンド初戦の相手は当時世界ランク43位のブルガリアだった。勝利の気運が高まる中、日本はストレートで敗れた。
試合後のミックスゾーン。その時に記者からかけられた言葉を、宮下は今も「忘れられない」と振り返る。
「ポスト竹下と言われる中での戦いでしたが、どんな心境ですか」
今になれば、そう聞かれるのは特別なことではないことが理解できる。でも、当時はその言葉をかわす余裕がなかった。