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報道陣の前で涙「大人が怖かった…」15歳で日本代表・宮下遥を苦しめた“ポスト竹下”という重圧…天才少女が「大好きな沙織さん」から逃げた日
posted2024/07/26 11:04
text by
田中夕子Yuko Tanaka
photograph by
Jun Tsukida/AFLO SPORT
前歯を折る伝説のVリーグデビューを飾った4カ月後の2010年3月23日。宮下遥は15歳で日本代表に初選出された。
しかし、ロンドン五輪まで2年を切ったタイミングでの大抜擢だったが、当の本人は置かれた状況を全く理解していなかった。
「(岡山シーガルズ監督の河本昭義)先生から『次の代表に選ばれたぞ』と言われた時に、何が何だかわからなくて、一緒に選ばれた山口(舞)さんに『何で私が選ばれたんですか?』って聞いたんです。そうしたら『Vリーグでの遥が評価されて、これからも見据えて選ばれたんだよ』って。私はずっと、日本代表に入るには受験と同じようにテストがあって、クリアしたら入れる場所だと思っていたから、頑張ることで日本代表につながっていくんだと、そこで初めて知りました」
当時の日本代表にはチームの生命線だった竹下佳江という、絶対的なセッターがいた。あくまでも33名の登録メンバーに名を連ねただけで、今すぐに活躍が期待される立場ではなかった。
だが、15歳の少女の出現に、周囲やマスコミは色めき立っていた。
「15歳の天才少女」怖かった大人の目
日本代表登録選手が一堂に会した記者会見で、竹下やエースの木村沙織と同様に多くの報道陣に囲まれていたのが宮下だった。
「広い部屋の壁際にぶわーっと人が押し寄せてきて、いろんなことを聞かれる。質問がやっと終わったと思うと、また別の人たちが集まってきて、さっき話したのと同じことをまた聞かれる。ヤバいところに来てしまったと思っていたし、そもそも私、大人はみんな敵だと思って乗り込んでいましたから。自分でつくったバリアとガードが半端なかったです」
人見知りと自認する選手はいるが、「大人を敵だと思っていた」とまで言い切る選手はほとんどいない。でも、そこには、彼女なりの理由が存在した。