バレーボールPRESSBACK NUMBER
報道陣の前で涙「大人が怖かった…」15歳で日本代表・宮下遥を苦しめた“ポスト竹下”という重圧…天才少女が「大好きな沙織さん」から逃げた日
text by
田中夕子Yuko Tanaka
photograph byJun Tsukida/AFLO SPORT
posted2024/07/26 11:04
日本代表に初選出された当時15歳の宮下遥(2010年)
大会2週間前の中国遠征。当時世界ランク1位の相手と対戦して自信を深める狙いがあったが、結果は惨敗。特に宮下は絶不調で、遠征最終日の夜に眞鍋政義監督と話をする機会が設けられた。
「ボロボロすぎて、不安しかないです」
素直な感情をぶつける宮下に、眞鍋が言った。
「技術はすぐに変われないけれど、気持ちは一瞬で変わる。でも今は不安やろ。だったら、最終予選でコートへ立つ時に不安がなくなるように練習、特訓や。俺もやるから」
帰国翌日、ナショナルトレーニングセンターでスタートした練習初日から眞鍋監督、水野秀一コーチとの3人で約1時間、ひたすらトスを上げる猛特訓が始まった。
毎日6時からの朝練を始めてから数日。ガチャッとドアが開いた。エースの木村だった。
意外な人物の登場に驚きを隠せなかったが、当初は「沙織さんもサーブレシーブの練習かな」と思っていた。しかし、チューブを使って肩に刺激を加え、ジャンプのためのアップを始め、準備が整うと木村はコートに入った。
「ツケ!」
速いトスを求める木村に、宮下が応じる。一本一本、木村から「もっとこうしてほしい」「この場面ではこういうトスが欲しい」と具体的な要求が加わる。
「そこまで細かく詰めたのは初めて。そもそも、どうして沙織さんが私の朝練を知ったのか、何で来てくれたのか。理由は聞いていないから今もわからないんです。でも、OQT(五輪予選)初戦のペルー戦前にコートへ整列した時、『ここにいる中で絶対に、誰よりも私が練習した』と自信を持って試合に臨むことができた。それぐらい、あの朝練は忘れられないです」
崖っぷちだったリオ五輪予選
木村とのコンビに自信を深めた宮下は、リオ五輪を懸けた戦いに臨んだ。五輪予選は経験した誰もが「あんなに苦しい大会はない」と振り返るだが、宮下も口を揃える。
それまで経験したことのないプレッシャーの中、日本は宿敵・韓国に1対3で敗れた。
「(キム・)ヨンギョンさんがすごすぎた。一人だけ別次元で、まるで小学生の(高さの)ネットで打っているんじゃないかというぐらい打てば決まる。韓国がレシーブを上げた時点で『ヨンギョンが打ってくる』とその時点で固まっていたぐらい。完全に押されていた。OQTの後半戦はヨーロッパ勢との対戦が残っているし、チームとしても韓国戦が一番の山だと思っていて。でもその中で負けた。首の皮、半分がビリビリってめくられた状態でした」
大げさではなく、絶体絶命。そんな崖っぷちの状況で迎えたのが5月18日のタイ戦だった。この試合が、宮下にとって生涯忘れることのできない、運命の一戦となる。
(つづく)
◆インタビュー第3回では、14年間の現役生活で最も色濃く記憶に残る試合や引退の経緯について赤裸々に明かしている。そして、あの選手への特別な想いも…。