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報道陣の前で涙「大人が怖かった…」15歳で日本代表・宮下遥を苦しめた“ポスト竹下”という重圧…天才少女が「大好きな沙織さん」から逃げた日
text by
田中夕子Yuko Tanaka
photograph byJun Tsukida/AFLO SPORT
posted2024/07/26 11:04
日本代表に初選出された当時15歳の宮下遥(2010年)
「ペーペーの自分がこんなところにいていいのかと毎日思い知らされて、そこにいるだけで必死だった。私、もともと周りの目をすごく気にするタイプだから、あえて見ないように、聞かないように、と自分のことだけを考えようと思っていたのに、そんな自分があの偉大な竹下さんと比べられる。“ポスト竹下”という言葉が突き刺さって、そんな風に思われている中で私は戦っていかなきゃいけないんだ、という不安や恐怖が一気に大きくなってしまった。とにかく怖かったです」
気付けばミックスゾーンで泣いていた。泣き顔を見られるのも、その場にい続けるのも嫌で足早に立ち去ったが、「取材には応じないとダメ」と戻された。以降はいかにミックスゾーンを素早く通り過ぎるか、ということばかり考えていた。
「かがんで走り抜けたら気づかれないかな、とか。全然無理でしたけどね(笑)」
大好きな先輩・木村沙織とトスが合わない
苦汁を嘗めた日本代表という場所とは、選手としての「成長」を実感する中で次第に向き合い方が変わっていった。
木村や江畑幸子、新鍋理沙といったロンドン五輪にも出場したメンバーと、iPadを片手に「どうすればいいですか?」と映像を見ながらトスを確認する。緊張したと言いながらも、トスがブレても難なく打ってくれる江畑やライト側からの速い攻撃を得意とした新鍋とのコンビは試合を重ねる中で自信もついた。一人の選手としては少しずつ楽しめるようになった。
ただ、そんな宮下にとって唯一とも言うべき懸念材料が、チームの大黒柱でもある木村へのトスだった。
レフトへのトスが苦手で、高さのあるふわっとした軌道のトスを求める木村に対し、突いた速いトスは上げられても高さや間をつくれない。
「沙織さんのことは大好きで、普段からコミュニケーションを取って、沙織さんも何とかしてくれようとしたけど、どうやってもトスが合わないし、合わせづらい。必然的に理沙さんやエバさん(江畑)、(長岡)望悠さん、自分が合わせやすい人に上げて、沙織さんとの攻撃を突き詰めることから逃げていました」
2人のコンビがようやく完成したのは2016年5月、リオ五輪出場をかけた最終予選の開幕直前だった。