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箱根駅伝で2年連続区間賞も「不完全燃焼でした」小松陽平が振り返る「遠かった青学大の背中」「その後の進路」 

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佐藤俊

佐藤俊Shun Sato

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photograph byNanae Suzuki

posted2024/05/18 06:01

箱根駅伝で2年連続区間賞も「不完全燃焼でした」小松陽平が振り返る「遠かった青学大の背中」「その後の進路」<Number Web> photograph by Nanae Suzuki

4年時も箱根駅伝を走り、2年連続で区間賞を獲った小松陽平。しかし、充実感はなかった

誰かを追いかけて成長したかった

「やっぱり監督がいなくなるのが大きかったですし、ここにいると僕がエースで、チームを引っ張る側になることになる。大学では強い同期に追いつき、追い越そうと思って成長できた。その時みたいに僕はまだ誰かを追いかけて成長したかった。そう考えるとチームに少し物足りなさを感じていたところもありました」

 チームからは「4、5日考えろ」と言われた。だが、小松の決心は変わらなかった。改めて移籍したい旨を伝えると「分かった。小松が行きたいところ、どこでも話をつけるから」と言ってくれた。スタッフが他の実業団チームを探してくれる前に、小松はいくつかの条件を伝えていた。

「わがままを言わせてもらって申し訳なかったのですが、ひとつはニューイヤー駅伝で優勝を狙えるチーム。大学時代の全日本や箱根の優勝は、すごくいい思い出として残っていて、やっぱり勝ちたいなと思ったんです。そして、東海大の選手がいないチーム、すでに自分を知っている人がいる環境とは別の新しい環境に身を置けたらと思っていました。あと、パフォーマンス向上のために歯の矯正をしていたんですけど、信頼している歯科医院が都内だったので、関東圏内が希望でした」

五輪を目指しますと口にしていたけど…

 小松が東海大時代、輝いたのは個人種目ではなく、駅伝だった。仲間と力を合わせて戦う駅伝の魅力にハマり、駅伝が大好きだった。ニューイヤー駅伝にこだわったのは、その駅伝を走りたい純粋な気持ちと個人種目の舞台で輝きを放つのは難しいと自覚していたからでもある。

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