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箱根駅伝で2年連続区間賞も「不完全燃焼でした」小松陽平が振り返る「遠かった青学大の背中」「その後の進路」 

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佐藤俊

佐藤俊Shun Sato

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photograph byNanae Suzuki

posted2024/05/18 06:01

箱根駅伝で2年連続区間賞も「不完全燃焼でした」小松陽平が振り返る「遠かった青学大の背中」「その後の進路」<Number Web> photograph by Nanae Suzuki

4年時も箱根駅伝を走り、2年連続で区間賞を獲った小松陽平。しかし、充実感はなかった

プレス工業入社の理由

 小松は、声援に後押しされ、青学大の岩見秀哉と1秒差で8区区間賞を獲った。しかし、青学大との距離は詰められず、2連覇を達成することができなかった。このレースは、悔しさに覆われ、今もその時のビデオを見れずにいる。

 東海大を卒業した小松は、プレス工業に入社した。

 神奈川県に本社があり、チームはニューイヤー駅伝への出場を目指していた。小松は、大学2年の時に、入社を決めていた。

「当時の上岡宏次監督が1年生の時から見ていてくださって、2年の秋に『うちに来てほしい』と言われたんです。まだ、何も結果を出せていない中、自分を評価してくれて、しかも大切にしてくれそうでしたし、すごく熱い人だった。チームはニューイヤー駅伝に出れるかどうか、ギリギリのレベルだったんですけど、上岡監督と一緒にやりたいと思って決めました」

監督が突如辞任

 新しい環境に慣れ、ニューイヤー駅伝の予選会となる東日本実業団駅伝に小松は出場した。エースになった小松は1区10位とまずまずの走りを見せたが、総合順位は14位に終わり、ニューイヤー駅伝出場の切符を手に入れることができなかった。

 そのレースが終わった翌日、チームに激震が走った。

 上岡監督が家庭の事情で監督を退任することになったのだ。監督を信頼し、慕ってプレス工業に入社した小松は、「監督と一緒にやって行きたいからプレス工業を選んだ」という初志を曲げることなく、その日のうちに「移籍させてほしい」とチームに願い出た。

【次ページ】 誰かを追いかけて成長したかった

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