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「ふざけるな!このボケッ」前田日明がブチギレ“伝説の控え室ボコボコ事件”…“被害者”坂田亘に負けた男が証言「じつはあの試合で大ケガしていた」
text by
細田昌志Masashi Hosoda
photograph byAFLO
posted2024/04/21 11:03
元プロレスラー坂田亘。前田日明“伝説の控え室ボコボコ事件”の被害者
「その話は後日知りましたが、こっちは靭帯断裂が判明してそれどころではなかった。だから、坂田選手が制裁を受けた後に、延々とスクワットをしていたことも知らなかった。前田さんが激怒したのは、前の年のデビュー戦のときに『次はないぞ』って忠告した伏線があったのと、やっぱり、鹿児島のファンの署名で決まった大会だったのも大きかったと思います。『大切なファンの前で何て試合をしてるんや』ってことでしょう」
「自分までが前田さんに怒られたと思ってる人も、時々いるんだけど、それは全然ないです(笑)。この数日後に、ある場所で前田さんと麻生(秀孝)先生が会ったらしくて、麻生先生から靱帯断裂を明かしたそうです。そうしたら『そうなんですか。鶴巻ってあいつ根性ありますよね』って褒めて下さったとか。だから、僕は前田さんに対してはいい印象しかない。ただ、中学生の頃に抱いた『UWFに入る』という目標が実現していれば、新弟子になっていたわけで、どうなっていたかなって想像することはあります(苦笑)」
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この試合が、鶴巻伸洋にとってリングスラストマッチとなった。それ以後は、プロ修斗、パンクラス、アブダビコンバット、キックボクシング、ケージフォースと、「総合格闘技のよろず屋」として、黎明期の日本の総合格闘技を支えた。1999年1月に下北沢で行われた寝技限定ルール「コンテンターズ」では、その後、PRIDEでも活躍した高瀬大樹から、アキレス腱固めで一本勝ちも収めている。現在は、平塚市の湘南格闘クラブで指導するかたわら、ちがさきプロレスのリングに上がっている。
「あの動画の影響で、いろいろと話を聞かれる機会も増えました。あの試合は自分にとっては『若い頃の不思議な記憶』って感じで、特にこれといった思い入れはないんです。ただ、一つ言えるのは、若かった時代に何事も全力で取り組んだから、現在があるってことでしょうかね」
<全3回/第1回、第2回から続く>