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8馬身差の衝撃デビューに武豊は「追えば飛ぶかもしれない」…あの“消えた天才”サラブレッドが「ディープ級」の期待を背負いつづけた理由 

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島田明宏

島田明宏Akihiro Shimada

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photograph byYuji Takahashi

posted2024/04/11 11:03

8馬身差の衝撃デビューに武豊は「追えば飛ぶかもしれない」…あの“消えた天才”サラブレッドが「ディープ級」の期待を背負いつづけた理由<Number Web> photograph by Yuji Takahashi

名手・武豊に「飛ぶかもしれない」と言わしめたオーシャンエイプス。「ディープロス」の競馬界で大きな期待を集めた

 武がゴーサインの右ステッキを入れた。

 しかし、前との差は縮まらない。

 オーシャンエイプスは最後まで「飛ぶ」ことなく、内の馬に競り落とされ、外から来た馬にもかわされ、勝ったアサクサキングスからコンマ6秒離された4着に敗れた。

「ポスト・ディープ」の重圧を背負いながら走りつづけた

 つづく500万下のアザレア賞は、武が中山のニュージーランドトロフィーでスズカコーズウェイに騎乗するため幸英明に乗り替わり、3着。武に手綱が戻った青葉賞は7着。4カ月ほどの休み明けとなった国東特別(500万下)でも5着と勝てなかった。

 デビュー6戦目、9月の箕面特別(500万下)でようやく新馬戦以来の勝利を挙げると、10月の三年坂特別(1000万下)、11月のウェルカムステークス(1600万下)と3連勝。何よりこの馬らしさを表していたのは、新馬戦から8戦目のウェルカムステークスまですべてが1番人気で、うち6戦が1倍台だったことだ。

 オーシャンエイプスは、8戦4勝で終えた3歳シーズンを、ずっと「ポスト・ディープ」の重圧を背負いながら走りつづけたのだ。

引退後は乗馬に…現在の所在は確認できず

 4歳初戦のダービー卿チャレンジトロフィーは、武が同日の大阪杯でメイショウサムソンに騎乗するため後藤浩輝が手綱をとって、7着。武が鞍上に戻ったオーストラリアトロフィーで通算5勝目をマークした。結局、それが最後の勝利となった。

 次走の安田記念で9着に敗れてから2年半の長期休養を経て2010年の12月に復帰したが、11年春に骨折してまたも長期休養を余儀なくされる。

 復帰戦となった8歳時、2012年6月の福島テレビオープンで10着に敗れたのを最後に引退。乗馬となった。

 引退した翌年、馬術の競技会にデビューするなど、元気に過ごしている様子をネットでも見ることができた。

 今はどうしているのか問い合わせたところ、所属していた滋賀の乗馬クラブをすでに退厩しており、所在が確認できなくなっているとのこと。

 周りが過剰な期待をかけ、ディープと重ねて注目したがゆえに尻すぼみに終わったように感じられるが、オープンまで駆け上がり、通算で9000万円近い賞金を稼いだ、強い馬だった。

 まだディープの記憶が新しい時期に、人々の胸から「ディープロス」をぬぐい去り、大きな夢を見せるという、この馬にしかできない仕事をした。その意味では「名馬」と言っていいだろう。

<つづく>

#4に続く
「あの馬が世代最強」「来年は全部これに持っていかれるな」名手たちが絶賛した“消えた天才”…28歳で大往生“芦毛の怪物候補”を覚えているか

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