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酒、女性問題、ケガも…「なぜ自分がこんな目に…」巨人・江川事件、悲劇のヒーロー・小林繁の“その後”「30歳で突然引退した事情」
posted2024/03/16 17:03
text by
中溝康隆Yasutaka Nakamizo
photograph by
BUNGEISHUNJU
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“極秘テープ”の怪情報も
この1979年1月31日は、長い球史においても、語り継がれるミステリアスな1日となった。当事者の証言にそれぞれ食い違いがあり、長谷川球団代表が待つホテルニューオータニの部屋番号から、巨人球団事務所で話し合いに参加したメンツまで微妙にズレがある。門外不出の念書や交渉を録音した極秘テープの存在といった怪情報も飛び交った。
小林本人ですら、騒動の渦中のコメントとのちのインタビューでの発言が大きく変化している。例えば、現役最終年に発売された『男はいつも淋しいヒーロー』では巨人側に不満をぶつけ、手に汗握る交渉をする様子が細部まで描写されているが、一方で引退後に世に出た『元・巨人』の取材には、ホテルニューオータニを出る際に移籍は了承していて、ハンコも押していた、球団事務所行きは、「あそこには、記者会見をしに行っただけ」とやたらとあっさりしている。時間とともに、小林の怒りも風化していったのか。もしくは、もう過去を振り返りたくはなかったのか。
「悲劇のヒーロー」になった
だが、ひとつだけ、決定的な揺るぎない事実がある。翌朝、ホテルで長嶋監督からの「コバ、立派だったぞ」という激励の電話で目覚めた小林は、一夜にして日本中がその顔を知る、「悲劇のヒーロー」となったのだ。
2月8日のプロ野球実行委員会の決定で、形式的にはお互い金銭トレードという形を取ったが、小林の阪神入団が正式に決まると10日に安芸キャンプ入り。新しいチームメイトたちもさっそく歓迎会を開いてくれた。開幕前にも東京・高輪のホテルパシフィック東京で「小林繁を励ます会」が開催され、親友の前川清、研ナオコ、石野真子、森山加代子、横綱の輪島ら各界の豪華キャストが集結した。もはや阪神ファンだけでなく、全国民が、小林を応援しているような雰囲気すらあった。
「男の意地だけだと思う」
結論から書くと、この1979年の小林の鬼気迫るピッチングは凄まじいものがあった。