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「巨人から5000万円ももらってません」“空白の1日”江川事件…あの日、小林繁に何が起きたのか?「羽田空港からハイヤーで連れ去られて…」
posted2024/03/16 17:02
text by
中溝康隆Yasutaka Nakamizo
photograph by
KYODO
◆◆◆
「空港から連れ去られて…」
1979年1月31日午前11時50分、宮崎キャンプに出発するため羽田空港国内線第1出発ロビーに到着した小林繁は、チームメイトたちに合流しようとしたら、球団関係者に呼び止められる。質問をしても何も答えてもらえず、紺のスーツの袖を引かれ誘導された先には、読売新聞社の社旗をはためかせた黒塗りのハイヤーが停まっていた。全身から血の気が引く思いがしたという、この時の衝撃を、小林は自著でこう振り返っている。
「崖から突き落とされた思いを打ち消そうとするのだが、まぎれもなく今オレは、空港から連れ去られようとしている。/どうしようもない動揺を隠す術もなく、オレは紺野庶務部長に促されるまま、車に乗り込んだ。/突然、思いもかけぬ事件にまき込まれたオレは、頭の中が混乱するばかりで、ただぼうぜんと車の外をながめるしかなかった。/ふと気がつくと、車は高速1号線を走っていた。この間の数十分は、まさにオレにとっての『空白の時間』だ」(『男はいつも淋しいヒーロー』プロメテウス出版社)
「本当にそんなことができるのか?」
前年秋から、日本列島は江川卓の“空白の1日”問題で揺れていた。球界には「ドラフト会議で交渉権を得た球団が、その対象選手と交渉できるのは、翌年のドラフト会議の前々日まで」という、いわば会議前日は準備にあてるための事実上の紳士協定が存在したが、巨人はその野球協約の盲点を突き、「ドラフト前日はフリーの身分になるので契約可能」と強硬に主張。
1978年11月21日、前年にクラウンライターライオンズ(1978年秋、西武グループの国土計画〈現・コクド〉が買収して西武ライオンズに)から1位指名を受けながら入団拒否していた、浪人中の江川との電撃契約を発表する。