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「右肘手術の選択肢」「復帰直前のケガ」ヤクルト・奥川恭伸が多くを語らなかった“空白の2年間”の真実「結果で見返したいと思い続けて…」
text by
横山尚杜(サンケイスポーツ)Naoto Yokoyama
photograph byKiichi Matsumoto
posted2024/01/27 11:03
故障を乗り越え、完全復活のマウンドを目指す奥川
「これで154km出るんだ」
「3イニング投げられるなら、キャンプに来なさい」
高津臣吾監督からスタッフを通じて伝えられ、もがく奥川に光が差し込んだ。11月11日。四国アイランドリーグplus・愛媛との練習試合で先発し、3回をわずか22球で投げ終えた。154kmを計測した球速や堂々としたマウンドさばきは復活の気運を感じさせるものだった。
「これで154km出るんだ、と。特別暖かくもなかったですし本当に6割くらいの力感だったんです。もっともっと球速も出るしイニングも投げられるなと。自分としてはあの投球で全然納得していないですし、もっとできると思っています」
故郷・能登半島への思い
心に留めている思いはもう1つある。24年1月1日。石川県かほく市の実家で立っていられないほどの揺れに襲われた。家族、親戚がテレビを見ながら団欒していた居間に、悲鳴や赤ん坊の泣き声が響き渡った。高台に避難するために実家を飛び出すと、至るところでアスファルトは陥没し目の前の電柱は傾き倒れかかっていた。周りが動揺する姿、一変した街並み、断続的な揺れ。隣町の親戚宅で一夜を過ごし感じたことのない恐怖を覚えた。
家族、親戚、友人は無事だったというが、甚大な被害だった珠洲市に住む星稜高野球部だった仲間の自宅は壊滅的な状況で、言葉を失った。
「自分たちも被害に遭ったし、もっと大きな被害に遭った人もいる。今も、これからも日常に戻れない方がいることを考えると何か言うことは難しい。自然災害の前では無力ということを改めて感じましたし、プレーする姿でしか何かを表現できない」
「活躍して石川に…」
石川に残り家族、親類の助けになりたいという思いがありながら、両親からは「トレーニングがあるんだから、もういきなさい」と2日後には東京に送り出された。
「今年、活躍して石川に帰りたいんです」
深刻な時期に石川を後にしたという思いは、より奥川をマウンドに駆り立てている。復活を遂げる姿を見せて、故郷に戻ると心に決めた。