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「右肘手術の選択肢」「復帰直前のケガ」ヤクルト・奥川恭伸が多くを語らなかった“空白の2年間”の真実「結果で見返したいと思い続けて…」
text by
横山尚杜(サンケイスポーツ)Naoto Yokoyama
photograph byKiichi Matsumoto
posted2024/01/27 11:03
故障を乗り越え、完全復活のマウンドを目指す奥川
手術をしない、という選択
22年はゼロから自分を見直す1年になった。全国複数の医療機関を受診し、トミー・ジョン手術を含むさまざまな右肘治療の選択肢が挙がった。ドクターによって知見も異なり判断は困難を極める。それでも奥川は自身で最善策を模索した。それぞれのドクターにMRI画像を通じて患部の詳細や疑問点、手術した場合としなかった場合のその後のリハビリ過程など詳細を尋ね、知識を深めた。トミー・ジョン手術を受けたチームメート数人の意見も参考にし、自身の感覚も照らし合わせた上でリハビリ施設を兼ねた大阪の医療機関に通院し、手術せずにリハビリをする道を選択した。
その後は自費で週1度大阪に1泊し、リハビリ経過の確認と診療を受け続けた。それ以外の日々は右肘に負荷がかからないフィジカルを構築するためのトレーニングが中心。オンラインで栄養講座も受講するようになった。
「リハビリ期間で肘だけを治療、強化したわけではないんです。なぜ肘に負担が偏ったかを認識しないといけない。体全体のバランスを考えて強化しないと投げ切れるフィジカルにならないんです」
復帰の兆しが見えた矢先に…
約10カ月のリハビリ期間で、体重は入団当時から10kg近く増量。スローイングも徐々に強度を増し、新シーズンへ向けて復帰の兆しが差し込んでいた。
その23年はゼロから慎重に一歩を踏み出す。4月18日には二軍戦で385日ぶりに復帰登板。その後も登板を重ね、「以前とは比べ物にならないほどに登板後の回復も早くなっている」と一軍登板目前まで過程を歩んだ。しかし、7月4日に戸田球場のサブグラウンドで行っていたアメリカンノック中に左足首をひねり転倒。ボキっと周囲に聞こえるほどの不快音は骨がはがれる音だった。失意の中で長期間のリハビリを強いられ、目前だった一軍復帰も再び遠のいた。
その復帰過程だった10月のフェニックス・リーグでは上半身コンディション不良で途中帰京したが、完治すると状態が上がった。