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「マジで大正解でした」Jリーグでコーチ業10年・北嶋秀朗(45歳)なぜJFLで監督に? 今だから言える「相馬さん、あのときはすいません」
text by
飯尾篤史Atsushi Iio
photograph byKiichi Matsumoto
posted2024/01/19 17:00
柏レイソルなどで活躍した元日本代表・北嶋秀朗(45歳)。今季からJFL・クリアソン新宿の監督に就任する
「ナリさんやマルさんの話を聞いて、みんなが前向きに新しいことにチャレンジする空気感が、たまらなくいいなと感じたんですよね。それにナリさんが、クリアソンは“あり方”を大切にしてきたクラブだ、と。今後は“あり方”と“やり方”をマッチさせたいから、『北嶋さんの力を貸していただきたい』と言ってくださって。やり方のところで自分に関わらせてもらえるなら、面白いものが作れるかもしれないとも思ったんです」
北嶋がJクラブからJFLのクラブへと職場を移すことに対して、周囲は反対の声のほうが多かった。指導者がカテゴリーを落とすと、なかなか戻って来られないぞ、というのである。
しかし、北嶋にとってカテゴリーなどどうでもよかった。とにかくサッカーを純粋に突き詰めたかったからだ。果たして結果は……。
「マジで大正解でした。ここを選べた自分を本当に褒めたいと思っています」
クリアソン新宿のメンバーはサッカーをするために集まってきたのではなく、サッカーを使って社会や地域、仲間に対して何ができるか、というクラブの考えに共感して集まっている。それゆえ、「他のプロクラブの一体感とは違う一体感がある」と北嶋は胸を張る。その一体感は、記憶を辿ると、高校選手権優勝を目指した学生時代のそれに近いかもしれない。
例えば、アウェイゲームでは試合前にZoomをつなぎ、メンバー外の選手が遠征メンバーにエールを送り、ホームゲームではメンバー外の選手たちがスタンドから誰よりも大きな声援を送る。トレーニング後には必ず、その日に輝いていた選手を讃える。
「小さな仕組みがたくさんあって、その仕組み一つひとつに愛情がこもっている。強い絆が生まれる様子を目の当たりにして、コーチの僕自身がクリアソンに巻き込まれていく感覚を味わいました。みんなでがっちり肩を組んでいて、脱落しそうな選手がいたら、みんなでガッと引き上げる。こんな一体感はなかなか味わったことがないです。暑苦しいくらいに熱い男たちなんだけど、素敵な男たちなんです」
北嶋がクリアソン新宿のカラーに感化されていく一方で、北嶋加入の効果は、早々にピッチ上で現れた。
成山監督のサッカーのモットーは、前に速く、何度でも――。チーム全体でハードワークし、ボールを奪ったらダイレクトプレーでゴールに迫る、けれん味のないサッカーだ。そのスタイルをベースに23年シーズンは、相手を見ながら立ち位置を取ってボールを動かすなど、戦い方の幅が広がった。
成山監督は「北嶋コーチのアイデアをたっぷりと取り入れています」と証言するが、北嶋は「ナリさんと一緒に整理したんです」と語る。
「大枠のところは揃えてあげて、小枠のところは選手の判断を大事にしながら。立ち位置のところでも、決まっているようで決まっていない、決まっていないけど決まっているという状態を作りたかったんです。自由と規律を並立させたいというのが、自分とナリさんの考えていることなので」
こうしたチャレンジが奏功し、クリアソン新宿は5月から6月にかけて5連勝を飾ってJFL首位に躍り出る。
蘇った大宮の記憶「相馬さん、あのときはすいません」
一方で北嶋は、4月、5月に天皇杯でチームの指揮を執るチャンスに恵まれた。
「これもナリさんらしい言い方なんですけど、『決して上から言うわけではないんですけど、監督の経験をしておいたほうがいいのではないかと思って』と言ってくださって」
北嶋が実質的に采配を振った天皇杯で、クリアソン新宿は法政大学との東京都予選準決勝、明治大学との決勝に勝利し、天皇杯決勝大会への出場権を手に入れた。
5月21日に行われた天皇杯1回戦ではJ3のいわてグルージャ盛岡に0-4で敗れたが、初めて指揮を執ったこの大会で北嶋は、決断を下すことがどれだけ難しいかを知った。それは、コーチの立場では感じられないことだった。
そして、蘇ってきたのは、大宮時代の思い出である。
「相馬(直樹)さんのもとでコーチをやっていたとき、選手交代が遅れて失点することが何試合か続いたんです。それで『もう5分早く決断していれば、あの失点はなかったかもしれないじゃないですか』って進言したら、相馬さんは『確かにそうだな』って受け止めてくれて。でも、いざ自分が指揮を執ったら、全然決断できない。『相馬さん、あのときはすいません』って思いました(苦笑)」