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「マジで大正解でした」Jリーグでコーチ業10年・北嶋秀朗(45歳)なぜJFLで監督に? 今だから言える「相馬さん、あのときはすいません」
text by
飯尾篤史Atsushi Iio
photograph byKiichi Matsumoto
posted2024/01/19 17:00
柏レイソルなどで活躍した元日本代表・北嶋秀朗(45歳)。今季からJFL・クリアソン新宿の監督に就任する
秋を迎えてもなお優勝争いを続けていたクリアソン新宿に9月26日、嬉しい知らせが届く。J3クラブライセンス交付が決まり、Jリーグ入会の申請が承認されることになったのだ。
あとはJFLで2位以内に入れば、新シーズンのJ3昇格が決まる――。
ところが、ライセンスを手にした途端にクリアソン新宿は足踏みをしてしまう。5連敗を喫し、みるみるうちに順位を下げていく。
最終順位は11位。J3昇格には遠く及ばなかったが、北嶋は決して悲観していない。
「5連勝していた頃のほうが内容的に乏しくて、選手の頑張りでなんとか勝っていた。一方、5連敗したときは戦術的にも洗練されてきて、攻撃にも再現性があったのにシュートが入らなくて負けるパターンで。だから、サッカーってやっぱり難しいなって思いました。でも、1年を通してチームはすごく変化していて、最初の頃のやり方とはかなり違うものになっている。やっぱりチームは生き物だなって思いましたね」
古巣レイソルで研修「僕にとって特別なクラブ」
北嶋自身はS級コーチ養成講習会のカリキュラムを順調に消化し、8月には研修のために柏レイソルのトレーニングに参加した。
「研修先にレイソルを選んだ理由は、順位があまり良くなかったから。そういう状況のチームを、監督の井原(正巳)さんがどう立て直すのかに興味があったんです。クリアソンがJ3に上がったとしても、別のJクラブで監督をやるとしても、いきなり上位チームの監督をやれるわけじゃない。下位チームを率いることが予想できるなかで、そういうチームの選手たちがどんな状態で、どういう風にアプローチするのかっていうマネジメントが見たかった」
残留争いの最中に受け入れてもらえるだろうか、という北嶋の懸念は杞憂に終わった。クラブは快く受け入れてくれただけでなく、井原監督以下コーチングスタッフ陣やチームスタッフの一人ひとりとじっくり話をする場も用意してくれた。
「井原さんは選手と小まめにコミュニケーションを取っていたし、コーチのタニ(大谷秀和)やクリ(栗澤僚一)も『やり甲斐や責任感をすごく感じている』と話していました。外国人選手たちも真面目にトレーニングに取り組んでいて、順位は決して良くなかったんですけど、すごくいい雰囲気だったので、いいものを見させてもらったなって」
もっとも、北嶋が研修先に柏を選んだのは、「下位だったから」という理由だけではない。
「もちろんレイソルは僕にとって古巣で、特別なクラブですからね。純粋に久しぶりに帰れるのが嬉しいという気持ちもありました」
北嶋はこのクラブで、プロサッカー選手とはどうあるべきかを学んだ。プロになって初のタイトルを掴み、日本代表に選ばれ、J2降格、J1復帰、J1優勝も経験した。サポーターとの絆を知り、尊敬する後輩と出会い、影響を受ける数多くの指導者とも出会ったのである。
(第2回へ続く)
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「監督・北嶋秀朗」を紐解くインタビュー第2回では、「プロ失格」と烙印を押された若手時代から突然の引退劇までキャリアをたっぷりと振り返っている。