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箱根駅伝PRESSBACK NUMBER
「神にはなれなかった」けど…“山の妖精”城西大・山本唯翔「花の2区」志願も5区を選んだナゼ…心に響いた櫛部監督の説得《箱根駅伝MVP》
text by
酒井俊作Shunsaku Sakai
photograph byNanae Suzuki
posted2024/01/10 06:02
雨中の5区で昨年に続いて区間新記録をマークし、大会MVPに輝いた“山の妖精”こと山本唯翔
「今井さんには到達できなかったけど、そこに近づけたのは、スパート力を磨いてきたからで、よかったと思います」
ハイペースで押せたのは、櫛部が提唱する低酸素トレーニングに励んだ成果でもある。山本唯は、普段から標高2500mに匹敵する低酸素ルームで睡眠するほどの徹底ぶりである。ユニークな練習に取り組み、総合3位に押し上げる原動力になった。チームが躍進した要因を問われた櫛部は言う。
「箱根駅伝は『山』が中心だと思うので、山本唯翔の存在は大きかったです。彼はあの悪環境の中で(今井が記録を出した時のコースの)函嶺洞門のところが、ちょっと道が(隣のバイパスに)変わっただけで、実質60mは延びていると思います。わずか2秒差なので、実際に考えれば、今井君を超えているのかなと。私の中ではもう、神の領域に入っています」
「神になりたいと言った時期もあったけど…」
この1年間、山本唯は「山の妖精」のニックネームを背負い続けてきた。会心の山上りを終えた直後、芦ノ湖で彼は言った。
「最終的に神にはなれなかったと思うのですが妖精と言われて、自分との戦いだと思っていました。どう呼ばれようと皆さんの記憶に残る走りをできたことは本当によかった。神になりたいと言った時期もあったけど、別に神にこだわらなくてもいいかな」
もう、ニックネームの鎧を脱ぎ捨てていた。
卒業後は実業団のSUBARUで競技を継続する。見据えるのは世界の大舞台である。
「箱根から世界へ――」
この思いは、櫛部が早稲田大で現役の頃、マラソン15戦10勝で当時、新人コーチだった瀬古利彦(現日本陸連ロードランニングコミッションリーダー)から受け継ぎ、いまも大切にする考え方である。山本唯も力を込めて言う。
「将来はマラソンにチャレンジしたい。最終的にオリンピック入賞とか、表彰台に上れるように、これから頑張っていきたい」
「神」と「妖精」の狭間で、22歳の韋駄天はしなやかだった。自然体のまま、天下の険を駆け抜けていった。