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「他の選手の引退試合へ向かう途中で戦力外の電話が…」プロ6年で“1勝1敗”《2016ヤクルトドラ1》履正社左腕が語る「足りなかったガムシャラさ」 

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沢井史

沢井史Fumi Sawai

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posted2023/12/13 11:01

「他の選手の引退試合へ向かう途中で戦力外の電話が…」プロ6年で“1勝1敗”《2016ヤクルトドラ1》履正社左腕が語る「足りなかったガムシャラさ」<Number Web> photograph by JIJI PRESS

2016年にドラフト1位でヤクルトに入団した寺島成輝。前評判の高さとは裏腹に「プロの壁」にぶつかることになる

恩師は「プロに行くなら1位で行け」と…

「プロを本気で目指す」と岡田龍生監督(当時)に打ち明けると、直後に言われた言葉がある。

「『プロに行くなら1位で行け』と。そのためには普段の行動をしっかりしないといけない。それはよく言われました」

 それだけの素質があったからこそ、恩師の期待値は高かった。

 実際に3年生になってからは期待以上に躍動する姿をどんどん見せつけ、ヤクルトから単独1位指名を受けた。まさに鳴り物入りでプロの世界の門を叩いた。

 1年目の春季キャンプでは、一軍の浦添キャンプに抜擢された。

 高校時代の投げっぷりから、高卒ながら即戦力としての期待も肌で感じた。「その期待がすごく嬉しかった」と本人。当然、初めてづくしのキャンプで、18歳は張り切った。

 だが、左足の内転筋が炎症を起こし、2月中旬に西都(二軍)キャンプ送りとなり、体作りにシフト変更。8月に二軍で公式戦初登板を果たし、9月30日の中日戦では一軍初登板でいきなり初先発したものの、2ランを含む5失点でKOされた。

 2年目のシーズンは一軍登板わずか1試合。3年目も思うような結果が残せないままだった。ふと、そこであることに気づいたという。

「『1年目でこれを投げられるようにする』とか、『3年目で10勝を挙げたい』とか、目標は持っていたんですけど、実際は自分がそこまでできるピッチャーだと思えていなくて。どこか目標がぼんやりしていた。『練習してこうできるようにしよう』ではなくただ体作りをする、ウエイトをやる、みたいな感じでした。

 1年目の最後には一軍で投げられたので、結果として色んな経験はできましたが、球団側からしたらたぶん誤算だったんじゃないですかね。それでも1年目に一軍で投げられたのだから、2年目以降は『何とかなるだろう』と思っていた。順風満帆ではなかった状況の中でも一軍で投げられて、自分自身で『すごいな』と思う反面、あえてそう思わないように留めてきたつもりでした。まずはコーチの助言を聞きながら自分のスタイルを確立させていくことだけを考えていました」

【次ページ】 追い求めた「理想」と実際の「現実」

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