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甲子園の風BACK NUMBER
「他の選手の引退試合へ向かう途中で戦力外の電話が…」プロ6年で“1勝1敗”《2016ヤクルトドラ1》履正社左腕が語る「足りなかったガムシャラさ」
text by
沢井史Fumi Sawai
photograph byJIJI PRESS
posted2023/12/13 11:01
2016年にドラフト1位でヤクルトに入団した寺島成輝。前評判の高さとは裏腹に「プロの壁」にぶつかることになる
だが、そんな「自分流」を模索したことで、フォームをなかなか固めきれなかったことが不調の一因へと繋がることになった。
前述の1年目の春季キャンプでの内転筋のケガが癒え「ようやくいい形で投げられている」と自覚した矢先に、今度は左ヒジを負傷した。リハビリ後、再びフォーム改良に着手するも試行錯誤の日々が続いた。
「ケガをしてから改めてフォームをじっくり見直したら、俗に言うトップの使い方から違っていて、遠心力を使えない投げ方になっていたんです。明らかにそれ以前と違う位置でボールを離してしまっていた。それを何とかしたいけれど、いざ試合になると力が入ってしまって、なかなか治せませんでした。多分、ケガの影響もあって、どこか心理的に怖くなっていたんだと思います。今思えば、“元に戻す”というより、その時の身体の使い方で“どう力を発揮できるようにすればいいのか”を考えれば良かったと思うんですけど……」
追い求めた「理想」と実際の「現実」
何とかしようと思うほど、もがき苦しんだ。「理想を求めることに精いっぱいで、冷静になれなかった」と、今でも後悔の念に駆られるという。
ただ、そんな当人の状況を斟酌してくれるほどプロの世界は甘くない。結果が出ないまま年月を重ねると、立場は徐々に厳しくなる。
年下の投手もどんどん増えていく中、「何とかなる」から「もう、やらないとヤバイ」という状況に変わっていった。
「3年目が終わるタイミングで、そろそろヤバいと思うようになって。でも、結果を出して一軍で投げることは目標としてあっても、具体的に『どうなりたい』ということを考えきれなかったんですよね。ただただ『(一軍で)投げられたらいいな』と思っているだけというか。『地道に練習していけば、いずれはそういう機会は巡ってくるのかな』と……そういう感覚でした」
この3年目をターニングポイントだと思ったのには、もうひとつ理由があった。翌年からの首脳陣の刷新が決まり、4年目から高津臣吾監督の就任が決定したからだった。
「高津さんには二軍時代にもお世話になっていたので、『変わるならここしかない』と思ったんです」