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天才マラドーナの薬物使用、女性問題…「お人よしのディエゴは利用された」“恋人のような名相棒”カレッカが悔やむ「60歳の早すぎる死」 

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沢田啓明

沢田啓明Hiroaki Sawada

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photograph byAlessandro Sabattini/Getty Images

posted2023/12/03 17:00

天才マラドーナの薬物使用、女性問題…「お人よしのディエゴは利用された」“恋人のような名相棒”カレッカが悔やむ「60歳の早すぎる死」<Number Web> photograph by Alessandro Sabattini/Getty Images

元ブラジル代表FWカレッカ。所属したナポリでは天才マラドーナの“名相棒”だった

「試合後、ディエゴが我々のロッカールームへ来てくれた。私は彼と抱き合い、アルゼンチンの勝利を祝福し、『我々の分まで頑張って、ぜひ優勝してくれ』と伝えた(その後、アルゼンチンは勝ち進んだが、決勝で西ドイツに敗れて準優勝)。

――その後、マラドーナはナポリの地元マフィアとの黒い交際、薬物使用、女性問題といった数々のトラブルが報じられるようになります。なぜ彼はあのような状況に陥ったのでしょうか?

「実際に何があったか、詳しいことは知らない。でも、彼の名声、立場、富を利用したい奴らが大量に押し寄せてきた。純粋でお人よしのディエゴは、彼らに利用されたのだと思う。彼を守り、問題を回避させるスタッフが必要だったと思うが、そういう人がいなかったようだ……」

“お前がナポリにいる限り他のクラブへ行かない”と告げたが

――マラドーナは、1991年にドーピング検査で陽性反応が出てイタリアサッカー協会から15か月間の出場停止処分を受け、1992年にセビージャ(スペイン)へ移籍。あなたとのコンビは、4シーズンで終わりました。

「私は『お前がナポリにいる限り、絶対に他のクラブへ行かない』と彼に告げていた。また『将来、お互いの心のクラブであるサントスとボカ・ジュニオルスで1年ずつ一緒にプレーしよう』と約束していた。それが実現せず、残念だ」

――マラドーナとは、その後も交流を続けたのでしょうか?

「セビージャの彼の家にも行ったし、引退後は彼が(カンピーナスの)私の家へ来たり、私がブエノスアイレスの彼の家へ行ったりした」

――ここカンピーナスでも、彼と一緒に外出したのでしょうか?

「ああ、どこへでも出かけたよ。彼はブラジルとブラジル人が大好きでね。ファンからサインや写真を頼まれると、いつも気さくに応じていた」

彼の早すぎる死は、悔やんでも悔やみきれない

――2020年11月にマラドーナが60歳で亡くなったとき、あなたは「神様、私の兄弟ディエゴがあなたのもとへ旅立ちました。両手を広げて、温かく迎えてださい」という気持ちがこもったメッセージを発しました。

「私と彼は同い年で、しかも同じ月の生まれ(注:2人とも1960年10月生まれで、カレッカが5日、マラドーナが30日)。アミーゴを通り越して兄弟のような間柄だった。彼の早すぎる死は、悔やんでも悔やみきれない」

 ナポリで1987年から1993年までプレーした後、1993年後半、カレッカは柏レイソルへ。Jリーグは創設2年目を迎えていたが、当時、柏はJリーグ準会員で、Jリーグ昇格を目指していた。第2回に続く>

#2に続く
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