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天才マラドーナの薬物使用、女性問題…「お人よしのディエゴは利用された」“恋人のような名相棒”カレッカが悔やむ「60歳の早すぎる死」
text by
沢田啓明Hiroaki Sawada
photograph byAlessandro Sabattini/Getty Images
posted2023/12/03 17:00
元ブラジル代表FWカレッカ。所属したナポリでは天才マラドーナの“名相棒”だった
「1986年の末、FIFAがパリのリド(注:有名なキャバレー)で1986年W杯メキシコ大会で活躍した選手を表彰した。ディエゴはこの大会で優勝してMVPに選ばれ、僕は5得点をあげて得点王ランキングの2位(得点王は6得点をあげたイングランド代表FWゲーリー・リネカー)で、2人とも招かれて出席した。そして、たまたま同じテーブルに座ったんだ」
――どんな話をしたのですか?
「ディエゴが『W杯での君のプレーは素晴らしかった。ナポリに来る気はないか』と聞いてきた(注:マラドーナは、1984年からイタリア・セリエAのナポリでプレーしていた)。僕もW杯で彼のプレーに魅了されていて、いつか同じチームでプレーすることを夢見ていた。ただ、当時はサンパウロFCの選手だったから、『ぜひ一緒にプレーしたいね。ただ、今のクラブとの契約があるから、確約はできないが……』と伝えた」
ディエゴは子供がそのまま大きくなったような
――マラドーナの人間性についてどう思いましたか?
「とても純粋で、裏表がない。思ったことをハッキリと言う。子供がそのまま大きくなったような人物で、選手としてのみならず人間としても大好きになった」
――当時、あなたはブラジルの名門サンパウロFCのエースストライカー。1986年W杯で活躍し、この年のブラジル選手権で優勝して得点王に輝き、MVPにも選ばれた。シーズン終了後、複数の欧州ビッグクラブからオファーが舞い込んだようですね。
「レアル・マドリー、アトレティコ・マドリー(いずれもスペイン)、ナント(フランス)、そしてナポリ……。一番条件が良かったのがレアル・マドリーで、移籍金も年俸もナポリの約2倍。当然、サンパウロFCは私がレアル・マドリーへ移籍することを望んだ。でも、私はどうしてもディエゴと一緒にプレーしたかった。そこで、欧州クラブへ移籍する場合、移籍金の25%を受け取れることになっていたが、『私の取り分の25%はいらないから、ナポリへ行かせてくれ』と会長に直訴した。それでもサンパウロFCは損をするが、私のクラブへの貢献度を考慮してナポリへの移籍を認めてくれた」
――そのときの気持ちは?
「世界一の選手と一緒にプレーする夢が叶う、と思って興奮した」
ひしと抱き合った。まるで恋人のように(笑)
――当時、ナポリはマラドーナ効果で大騒ぎでした。1986-87シーズン、クラブ史上初めてセリエAを制覇し、イタリア杯でも優勝して市民は狂喜乱舞。そして、翌シーズンからあなたが加入するとあって、さらに大変な騒ぎに……。あなたの加入を知ったマラドーナの反応は?