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「イトウのスピードは素晴らしい」名FWカレッカが日本代表ベタボメ! “降格回避”古巣レイソルには愛の喝「育成はJの中で優秀だから…」
posted2023/12/03 17:01
text by
沢田啓明Hiroaki Sawada
photograph by
Masashi Hara/Getty Images,Takao Yamada
当時、世界最高峰だったイタリア・セリエAのナポリで天才マラドーナとコンビを組んだ世界トップクラスのストライカーが、1993年後半、柏レイソルへ加入――。このニュースは日本のフットボール関係者とファンに衝撃を与え、興奮させた。
そんなカレッカに当時抱いていた日本という国へのイメージや来日後の秘話、2023年は天皇杯決勝進出を果たす一方で、J2降格危機のシーズンとなった古巣への提言、そしてカレッカと同じくレイソルに所属していた伊東純也(ランス)、三笘薫(ブライトン)や久保建英(レアル・ソシエダ)らがヨーロッパで活躍する近年の印象を聞いた。
ミズノのモレリアというシューズを愛用していて…
――柏レイソルへ移籍した経緯は?
「サンパウロFCで一緒にプレーした元ブラジル代表左ウイングのゼ・セルジオが(1988年から90年まで)日立(当時ジャパン・フットボールリーグ=JFL。レイソルの前身)でプレーした後、柏レイソルを指導していた。彼から熱心な誘いを受けて、移籍を決めた」
――当時、日本と日本のフットボールについてどのようなイメージを持っていたのですか?
「日本と日本人については、非常にポジティブなイメージを持っていた。というのは、サンパウロFC時代からミズノのモレリアというシューズを愛用しており、ミズノの担当者を通じて日本人が誠実であり、細部に徹底的にこだわる素晴らしい人たちだと知っていたからだ」
――そもそも、いかなる経緯でミズノのシューズを履くようになったのですか?
「サンパウロFCにはミズシマ(注:水島武蔵。1975年、10歳でサンパウロFCのアカデミーに入り、1984年にトップチームへ昇格した)がいて、彼がミズノと契約していたことから、我々ブラジル人選手もミズノのシューズを使用する機会があった。1985年に開発されたモレリアというモデルを試したところ、革が非常に柔らかく、足に吸い付くようで、非常に感触がいい。とても気に入ったので、以後、使うことにした。
このシューズを開発したヤスイさん(安井敏恭)が何度もブラジルへ来てくれたんだけど、彼はとても誠実で有能なプロフェッショナルで、私が出す細かい要求に誠心誠意、応えてくれた。彼の仕事ぶりを見て、『日本という国、日本人は素晴らしい』と思うようになった。
1985年にミズノと契約を結び、以来、引退するまでモレリアしか履かなかった。他のメーカーからミズノを上回る条件で契約を申し込まれたが、契約金ではなく品質でミズノを選んだ。ディエゴも、モレリアを履いたことがあるよ」
レイソルにブラジル人ホペイロを紹介したよ
――ええっ、どういうことですか?