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天才マラドーナの薬物使用、女性問題…「お人よしのディエゴは利用された」“恋人のような名相棒”カレッカが悔やむ「60歳の早すぎる死」 

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沢田啓明

沢田啓明Hiroaki Sawada

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photograph byAlessandro Sabattini/Getty Images

posted2023/12/03 17:00

天才マラドーナの薬物使用、女性問題…「お人よしのディエゴは利用された」“恋人のような名相棒”カレッカが悔やむ「60歳の早すぎる死」<Number Web> photograph by Alessandro Sabattini/Getty Images

元ブラジル代表FWカレッカ。所属したナポリでは天才マラドーナの“名相棒”だった

「ナポリのクラブハウスで私の姿を認めるや否や、子犬のように走ってきて、感極まった表情で『アントニオ、本当にやって来たな。君は最高の男だ』と叫んだ。私は『世界一の選手と一緒にプレーするためにね』と答え、ひしと抱き合った。まるで恋人どうしのようにね(笑)」

――その後のことは、世界中のフットボールファンが知っています。マラドーナがあの超人的なドリブルと完璧なパスで決定機を作り出し、自ら決めたりあなたのゴールをアシストしたり。あなたも、マラドーナへ決定的なパスを送ってゴールを決めさせた――。「世界最高のコンビ」と呼ばれ、1988-89シーズン、クラブにとって初の国際タイトルであるUEFAカップ(注:現在の欧州リーグ)を獲得すると、1989-90シーズンにセリエAで2度目の優勝を遂げました。天才マラドーナとプレーして思ったことは?

「完璧なテクニック、驚嘆するしかない状況判断、そしてチームメイトと観衆の全員を巻き込む巨大なパッション——。あんな選手は、未来永劫、出てこない。自分が『是が非でもこの男と一緒にプレーしたい』と熱望してナポリへ来たのは正解だった、と毎日思っていた」

お互いの家を行き来して、家族ぐるみの交際

――ピッチ外でも親しく交流したそうですね。

「ナポリでは、私もディエゴも外出するとすぐ群衆に取り囲まれてしまうから、家族と一緒にレストランへも行くことすらままならなかった。そこで、お互いの家を行き来して、家族ぐるみで交際した。

 私の家ではシュラスコ(注:串刺しした肉を炭火で焼いたもの)、フェイジョアーダ(注:肉と豆を煮込んだもの)などのブラジル料理をふるまい、彼の家ではアサード(注:肉の塊を炭火で焼いたもの)などのアルゼンチン料理をご馳走になった」

――そんなときは、どんな会話をしたのですか?

「フットボールの話はほとんどしなかったな。お互いの家族の話とか、イタリアとナポリ、ブラジルやアルゼンチンの話が多かった」

純粋でお人よしのディエゴは、利用されたのだと思う

――1990年のW杯ラウンド16で、セレソン(ブラジル代表)はアルゼンチンと対戦。代表であなたとマラドーナが対戦した唯一の試合で、終盤、彼の絶妙なスルーパスをFWクラウディオ・カニーヒアが決めてアルゼンチンの勝ち。セレソンは痛恨の敗退を喫します。このとき、彼と何か話をしたのでしょうか?

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