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「コラァ。お前ら何しとんじゃ!」星野仙一が阪神コーチ陣に激怒…試合後の血圧「210」壮絶だった闘将「金本知憲に『頼むわな。判押せ』」
text by
岡野誠Makoto Okano
photograph byJIJI PRESS
posted2023/11/28 11:02
2002〜03年、阪神の監督を務めた星野仙一
「同じ岡山出身のよしみもあって、激励に行ったのよ。そしたら、監督室に呼ばれた。ワシは部外者やし、ためらったけど、オーナーや球団社長も『どうぞ、どうぞ』と言うから入って行った。そしたら、星野に『三宅さんな、島野どう思う?』と聞かれたんや。ワシは阪神で一緒だったから、『純粋で一生懸命やからいいと思うで』と答えた。星野は『でも評判悪いんよ』と言うてた。『ワシが見た限りでは一番いいコーチと思うわな』と力説したよ」
島野は阪神コーチ時代の82年8月31日、審判へ暴行を働き、無期限出場停止処分を受けた。翌年3月に解除されるまでの間、三宅とともにスコアラー業に勤しんだ。84年限りで退団し、85年オフには古巣・中日にコーチとして復帰。それを捻じ込んだのは、まだ監督就任前の星野だったと言われている。暴行事件で周囲から色眼鏡で見られていた男の必要性を訴えるため、星野はオーナーや球団社長のいる前で、島野をよく知る三宅を呼んだのかもしれない。
間近で見た星野仙一「コーチに激怒の事件」
オフの話題を独占した星野は02年1月31日、春季キャンプ地の高知に降り立った。夜のミーティングで「優勝するために阪神に来た」と熱弁。翌朝、野村と正反対の行動に出た。
「散歩の時間に外に出ると、星野がもういたのよ。一番初めに来て、選手一人ひとりに『おはよう! 元気か』って声を掛けていた。過去にそんな監督はいなかった。ワシはちょっと泣いたな。朝食でも、星野は選手の顔が一番見える場所に座った。食事が終わると、コーチに『おい、アイツは量が少ないけど、大丈夫か。ケアしておいてやれ』と伝える。本当によく目配り、気配りをしていた」
安芸市営球場に入ると、星野は選手の円陣に加わった。「ドラゴンズのキャッチフレーズは何だ?」とボケると、選手会長の桧山進次郎が「タイガースです」と突っ込んだ。笑いと共に、選手の恐怖心は和らいだ。しかし、それは束の間の出来事だった。