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「コラァ。お前ら何しとんじゃ!」星野仙一が阪神コーチ陣に激怒…試合後の血圧「210」壮絶だった闘将「金本知憲に『頼むわな。判押せ』」
posted2023/11/28 11:02
text by
岡野誠Makoto Okano
photograph by
JIJI PRESS
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「最初、選手はかなりビビっていた。(中日監督時代を知る)矢野(輝弘)が『蹴られた』とか言うとるもんやから(笑)」
阪神電鉄に訴えた…星野仙一の演説
2001年12月5日、沙知代夫人が脱税容疑で逮捕され、翌6日、野村克也監督が辞任。阪神は2ヵ月前まで中日を指揮していた星野仙一に白羽の矢を立てた。就任直後、闘将は久万俊二郎オーナーや阪神電鉄の役員の前で演説をした。
「金を使わないで、どうやって優勝できるんですか。投資して勝てば、何倍もの金が返ってくる。みなさん、優勝しましょう」
4年連続最下位のチームに“優勝”を訴えかけた。三宅は後日、同年に球団社長になった野崎勝義から「星野さん偉いなあ」という言葉を聞いた。
「すごく感心していた。フロントではなく、財布の紐を握る電鉄本社に直接訴えかけたからな。このタイミングで言えば、心に響くと計算していたと思うよ。その場で『はい』と言わせたみたいやわ」
「欠かせない」島野育夫の招聘…ウラ側
阪神は日本ハムからFA宣言していた片岡篤史と3度交渉を重ねていたが、結論は持ち越されていた。星野は就任会見翌日、「苦しんでるタイガースを一緒に再建しようじゃないか! 悩め! おれも悩んで(阪神監督受諾の)結論を出した。悩めば人間大きくなる」と口説き、入団に漕ぎつけた。
星野の参謀である島野育夫は中日の二軍監督に内定していた。しかし、闘将はドラゴンズのトップに掛け合い、半ば強引にタイガースに連れてきた。
「星野の野球に島ちゃんは欠かせないからな。中日の監督時代、怒った星野が選手に鉄拳制裁を喰らわそうとすると、スッと間に入って防いでいたらしいよ。『僕が話しときますから』と言うて、選手を守っとったみたい。それに、作戦や戦術はほとんど任されていたと思う」
中日・星野監督の誕生直後の86年11月、浜松での秋季キャンプに訪れた三宅は島野について聞かれている。