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「俺たちが同時に出ることは、ほぼ不可能だった」中田英寿とトッティが語り合ったライバル関係、スクデット、レベル高すぎの紅白戦
text by
垣内一之Kazuyuki Kakiuchi
photograph byAsami Enomoto
posted2023/11/22 20:00
ローマではライバル関係だったトッティ(左)と中田英寿が東京で再会し、22年前のセリエAスクデットについて語り合った
トッティ ヒデは'00年1月にASローマに来て、スクデットを獲ったシーズン('00-'01年シーズン)までだよね、チームにいたのは?
中田 そう、1年半しかいなかったね。
トッティ でも本当に力になったよ。あれが(自分にとっても)唯一のスクデットだったから。
中田 そうだよね。
トッティ ヒデの第一印象は、正直言って、あんまり覚えてないな。控えめで、シャイな青年だなという印象だったよ。既に自分の世界を持っていたよね。
中田 フランチェスコは、同い年だとは知っていたけど、あの頃にはもうローマ市長のような存在だったよね(笑)。ASローマの、まさに長だった。あとはキックの巧さに驚かされたね。後にも先にも、フランチェスコほどボールを蹴るのがうまい選手を見たことがない。衝撃だったよ。それと、いつもピッチの中央にいて、あまり走ってはなかったという印象かな(笑)。
トッティ (笑)。
中田 イタリアでは5つのクラブでプレーしたけど、当時のローマの選手のクオリティーは頭一つ抜けていた。本当にレベルが高かったよ。
俺たちが同時に試合に出ることはほぼ不可能だった
トッティ 残念なのは、あんまり一緒にプレーできなかったことだよな。ポジション(トップ下)がかぶっていたし、(ファビオ・)カペッロ監督のプレースタイルからして、俺たちが同時に試合に出ることはほぼ不可能だったから。
中田 それとあの時代は、外国人選手枠(非EU選手の出場枠)の問題があった。でもいずれにせよ、当時のチームは凄い選手ばかりだった。
トッティ そうだな、最強だったな。個々の能力も高かったけど、チームとしてもまとまっていた。
中田 そうだね。だって公式戦より、紅白戦の方がレベルは高かったから。でしょ?
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