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「ヒデはきっと素直な気持ちを口にしただけで」担当スカウトが知る高卒ルーキー中田英寿の素顔〈メディアとの衝突、岡田武史の誤解〉
posted2022/07/19 17:00
text by
杉園昌之Masayuki Sugizono
photograph by
Naoya Sanuki/JMPA
20年前、日韓ワールドカップでイタリアから凱旋した中田英寿の背中はあまりに遠くに見えた。
2002年6月9日、湘南ベルマーレの強化部長だった森淳(現ヴァンフォーレ甲府スカウト)は、運よく招待チケットを譲り受け、横浜国際総合競技場のメインスタンドにいた。会場の熱気と蒸し暑さで着ていたシャツがぐっしょり濡れていたことを覚えている。気づけば、ロシア代表に立ち向かう日本代表を必死に応援していた。
「自分のチームのような気持ちで観ていて、すごく感動しました。あの頃のヒデ(中田英寿)は、もう違う世界に住んでいる人だった。連絡を取り合うようなタイプではなかったですし、小学校の同級生が手の届かない歌手になったような感じでした」
58歳を迎えた森は、昔を懐かしむ言葉に思いをにじませる。森にとって中田は、ベルマーレ平塚(当時)のスカウト1年目に11クラブが競合するなか、奇跡的に韮崎高校(山梨)から獲得した特別な一人。高校3年生のときに初めて平塚の練習場に来てもらった日のことは、忘れもしない。Jリーグのシーズン中だったが、感覚派の古前田充監督は紅白戦でいきなり試合を控えたレギュラー組に入れてプレーさせた。
「普通、練習生はサブ組なのにヒデだけは違ったんです。そうしたら、当たり前のように見事なプレーを見せるので、スカウトの私だけではなく、選手たちもみんな目を丸くしていましたよ」
このときはまだ想像もできなかった。平塚のユニホームを着た中田に幾度となく驚かされることになるとは――。
あの日以来、サッカーの話をしなくなった
1995年5月3日、ホームの平塚競技場に鹿島アントラーズを迎えた一戦。先発出場した高卒ルーキーの中田は35分に鮮やかな先制点を挙げて、リーグ戦初ゴールをマーク。スタンドで見守っていた森は前半から胸を躍らせていると、後半はさらに衝撃を受ける。
敵陣でブラジル代表のレオナルドにボールを奪われたかと思えば、すぐさまスライディングで奪い返し、鋭い右クロスから野口幸司のゴールをお膳立て。77分にピッチを退くまでに1ゴール2アシストの働きを見せた。
ただ、野口がJリーグの1試合最多得点記録となる5ゴールと大暴れしたこともあり、新人の活躍はかすんでしまう。それでも、森だけは終了の笛を聞くと、スタンドから急いで駆け下りて、一目散に中田のもとに駆け寄った。
「あまりに感動して、『あのレオナルドからボールを奪い返してアシストした場面がすごかったな』と興奮気味に話し掛けたんですよ。すると、本人はピンときてないのか、首をひねっていました。『最初のトラップできっちり外側にボールを置いていれば、そもそもレオナルドには取られていなかった。なんで、俺はコントロールが下手なんですかね。どうやったらうまくなりますか』って」
想定外の返答に当時31歳の森は、思わず言葉を失った。「次元が違う」と感じたあの日以来、中田とサッカーの込み入った話をしないようにしたという。