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ソフトバンク“逆王手”でプレーオフ窮地、ロッテ・バレンタイン監督が試合後の選手に伝えた「ドウモ、ドウモ、ドウモ」「我々は世界で最もラッキーな人間」
text by
ボビー・バレンタイン&ピーター・ゴレンボック"Bobby" Valentine&Peter Golenbock
photograph byHideki Sugiyama
posted2023/10/15 11:02
2005年、最強と目されたソフトバンクを破り、日本シリーズ進出を決めたボビー・バレンタイン監督。敵地で逆王手をかけられ、選手に伝えたことは…
1977年、有名なヤンキースとレッドソックスの試合で、バッキー・デントが自打球を脛に当てて痛みを紛らわすために周囲を歩き回っていた間、マイク・トーレスはマウンドに立ったまま何もせずにいた。次の球でデントはホームランを打ち、レッドソックスはリーグ優勝を逃した。私のプレーブックには、タイムがかかっている間は、投手はウォームアップの投球をしなければならないというのがある。
この試合以降、何かでプレーが中断した際に私は必ずピッチャーにウォームアップをするよう伝えてきた。私はダッグアウトに戻ると、コーチたちにマサがウォームアップで投げたかどうかを聞いたが、誰も確証のある答えができなかった。
福岡のバリー・ボンズ、松中が打席に入った
そして再開後の初球で、マサは大きく外れるボールを投げた。橋本がダイビングして止めたため、ボールはバックネットに行かずに済んだ。次のボールはシングルヒットにされて2点を奪われた。我々のリードは4−3と1点だけになった。ダッグアウトに溢れていた高揚感は消え、そこにあったのはとてつもなく重苦しい表情だったに違いなかった。私は選手たちの顔を見たいとすら思わなかった。
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次の打者はゴロでアウトになり、ランナーが二、三塁となって福岡のバリー・ボンズ、松中が打席に入った。松中はこのシリーズでまだヒットが出ていなかったが、彼に決勝打を打たれて、相手チームとここのファンが一気に盛り上がることは避けなければならなかった。私はマサに敬遠のサインを出し、再び満塁とすることを選択した。次はフリオ・ズレータだった。マサはズレータに対して4球投げ、すべてストライクゾーンを外した。押し出し四球で試合は4−4の同点となった。
我々は王貞治のホームにいるのだと思い知らされた
試合は10回に進み、22セーブを挙げたソフトバンクのクローザー馬原孝浩が我々の打線を抑えた。10回裏、私は小野晋吾を登板させたが、ヒット2本と四球で満塁となった。私は小野に代えて藤田を投入し、一番打者の川﨑と対戦させた。だが、当然のごとく彼はヒットを放ち、ソフトバンクが5−4で勝利した。シリーズ勝ち抜けが目前だっただけに、悲惨な敗戦だった。それまでとは、全く違う場所にいる感覚だった。