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「ヒロオカさんと意見が合わなくなっていた」バレンタイン監督が明かす、ロッテを1年で去った真相「辞任でも解任でもなく…」

posted2023/12/09 06:02

 
「ヒロオカさんと意見が合わなくなっていた」バレンタイン監督が明かす、ロッテを1年で去った真相「辞任でも解任でもなく…」<Number Web> photograph by Noriko Yamaguchi

ロッテGMを務めた広岡達朗。バレンタインを招聘したGMと外国人監督の歩調が1年目の途中から、徐々にずれ始めていた

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ボビー・バレンタイン&ピーター・ゴレンボック

ボビー・バレンタイン&ピーター・ゴレンボック"Bobby" Valentine&Peter Golenbock

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Noriko Yamaguchi

 2005年にロッテを日本一に導いたボビー・バレンタイン監督。最初に指揮を執った1995年はチームを2位に導くも1年のみの“短命”で終わった。なぜ1年でチームを去ったのか。『ボビー・バレンタイン自伝』(東洋館出版社)で本人の口から明かされた真相とは――。(全6回の第6回/#1からつづく)

機能しなかった私のコンピューター

 1995年、私は自由にインターネットが使えると思い、AOLディスクを日本に持ち込んだ。あの日本で、インターネットが使えないはずがないだろう?

 私の友人のひとりがパソコン企業のコンパックを紹介してくれ、私はこの会社のテレビコマーシャルと雑誌の広告に出演した。テーマは「世界を変える」だった。これには2つの意味があり、コンパック社は世界を変え、私は日本の野球界を変えるというものだった。コンパックは私のAOLディスクも使えるダイアルアップのメカニズムを搭載した大型デスクトップコンピューターを提供してくれたが、日本とアメリカの技術専門家たちは1年かけてインターネットへの接続を試み続け、成功に至らなかった。彼らはハイテク業界にいたのだが……。

 コンピューターは日本では一般的な機械ではなかった。なぜなら、日本語の文字は漢字、カタカナ、ひらがなと数千に及んでいて、それらを扱えるキーボードは存在しなかったからだ。文字が3種類もあるのだ! 英語はアルファベットが26だけ。日本語は数千。彼らはコンピューターを作っていたが、私のコンピューターを機能させることはできなかった。

広岡さんは非凡な人だったが…

 2つの異なる社会を千葉ロッテの野球チームで融合させようという試みも、分断を生んだ。私はあくまでもアメリカ人で、成功を収めたのにも関わらず、日本人のGMにとって私のやり方にはいくつか理解しがたいものがあった。

 広岡さんは、ピート・インカビリアのパワーを打撃練習で見て、彼と契約した。だが、ピートは醜いアメリカ人のイメージを具現化してしまった。彼は、日本が彼に合わせてくることを望んだが、それは実現しなかった。71試合の出場で74個の三振を喫し、四球は23個しか選ばなかった。彼のスイングの弱点を、相手投手たちは攻めてきた。速い球を内角に、緩い球を外角に投げ、彼のバランスを完全に崩した。彼の成績は打率1割8分1厘、ホームラン10本、31打点で終わった。ピートは後半戦でほとんど出場がなく、広岡さんは球団が彼に250万ドルを費やしていたので、彼を起用しない私に怒り心頭だった。

【次ページ】 広岡さんが主導してチーム全員がグラウンドに

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