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「クロアチアより日本を警戒していた」元ブラジル代表コーチ・サンパイオの“W杯ガチ森保J評+ウラ話”「ミトマはネイマール、メッシに匹敵」

posted2023/07/30 11:02

 
「クロアチアより日本を警戒していた」元ブラジル代表コーチ・サンパイオの“W杯ガチ森保J評+ウラ話”「ミトマはネイマール、メッシに匹敵」<Number Web> photograph by Patrick Smith-FIFA/Getty Images

カタールW杯ブラジル代表コーチを務めたサンパイオに、母国のセレソンと日本代表について“ココだけの話”を聞いた

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沢田啓明

沢田啓明Hiroaki Sawada

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Patrick Smith-FIFA/Getty Images

 横浜フリューゲルス、柏レイソル、サンフレッチェ広島で活躍したセザール・サンパイオ。1998年フランスW杯でブラジル代表のボランチを務めた名手だが、幼少期は“壮絶な人生”を送っていた。そして師匠と慕うドゥンガ、日本への愛も余すところなく語ってくれた。《全3回の3回目/#1#2からつづく》

 1986年から19年間、ブラジル、日本、スペインの延べ9クラブでチームの勝利のために献身的にプレーした男は、2004年末、36歳でユニフォームを脱いだ。

引退後、スポーツマネジメントやジャーナリズムを

――現役引退後の活動について教えてください。

「引退後もフットボールに関わる仕事をしたいと考え、実は現役時代からその準備をしていた。1998年、かつてパルメイラスとセレソン (ブラジル代表)でチームメイトだったリバウドと共同でスポーツ・マネジメントの会社を設立し、サンパウロ州内陸地に創設された州5部のクラブの運営に乗り出した。かなりの投資をしたので成績はまずまずだったが、『このカテゴリーのクラブに対しては、少し金を使い過ぎた』と反省した。

 そこで、スポーツ・ビジネスについてもっと勉強する必要があると思い、大学に入ってマネジメント、マーケティング、ジャーナリズムなどを勉強した。そして、再び中小クラブの運営に携わった。

 その後は、ラジオやテレビで解説者の仕事をやり、2011年から2年間、古巣パルメイラスのGMを務めた。このことは、非常に貴重な経験となった。2015年、恵まれない子供たちにフットボールを教えたり職業訓練の機会を与えるボランティア団体を立ち上げた。同じ頃、サンパウロ近郊に自分の名前を冠したフットボール・スクールを創設し、僕が選んだコーチたちが数百人の子供を指導している。

 また、2017年からブラジルサッカー連盟が提供する指導者養成コースを3段階、続けざまに履修した。その最上級コースで、 セレソンのチッチ監督と机を並べ、彼と意気投合した。2019年10月、チッチが監督を務めるセレソンにコーチとして招かれた。そして、2022年W杯カタール大会に参加した」

これほど緻密な準備をした国はなかったはず。しかし…

――この大会の南米予選で、セレソンは宿敵アルゼンチンを抑えて首位で突破。大会直前の世界ランキングはトップで、世界中の多くのメディアやファンから優勝候補筆頭と目されていました。にもかかわらず、なぜ優勝を逃したのでしょうか?

「事前の準備は、ほぼ完璧だったと思う。我々スタッフは、50人から60人の代表候補選手を各自8人から10人ほど担当し、世界各国のリーグを視察して彼らのコンディションを継続的に確認した。もちろん、W杯で強敵となるであろう国についても、綿密に分析した。できる準備はすべてやったと思うし、これほど緻密な準備をした国は他になかったのではないか。

【次ページ】 日本はクロアチア戦にも勝っていておかしくなかった

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