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プロ野球スカウトも驚き「ノーマークだった」大阪桐蔭を封じた“下関国際の右腕”…なぜ覚醒? 番狂わせまでの“誤算”「ごまかすのが大変だった」
text by
中村計Kei Nakamura
photograph byHideki Sugiyama
posted2023/08/22 11:04
昨夏の甲子園、優勝候補だった大阪桐蔭は下関国際に準々決勝で敗れた
「古賀は軸足のじん帯を痛めた状態で投げてますんで。甲子園では3試合目の先発になりましたけど、その中ではいちばんよかったんじゃないですか」
正直に故障のことはまったく知らなかったと伝えた。
「あ、ご存じなかったですか?」
おそらくは、ほとんど出回っていない情報だ。坂原の口ぶりは、こちらの力量を試しているようでもあった。
坂原が明かす。
「古賀は山口大会の準々決勝前のノックのときに足をねん挫したんですよ。何のために温存したんだ、って。大バカ野郎ですよね」
準決勝、決勝とエースの古賀に託すプランを立てていた坂原は、その日、古賀を休ませるつもりでいた。登板予定のなかった古賀はゲーム前、ノックのボール運びの手伝いをしていたという。ところが、ジャンプし、着地したときに軸足の左足を捻ってしまったのだ。足首はくるぶしが見えないくらいにはれ上がっていた。
思った以上に重症だったため、結局、山口大会の準決勝、決勝も仲井慎が先発完投した。坂原が苦笑いを浮かべる。
「ごまかすのが大変だったんですから。マスコミの方が『(古賀は)何かあったんですか?』って。だから、準決勝も、決勝も相手が機動力を使ってくるチームなので、フィールディングのいい仲井に任せました、って」
大阪入りしてからも古賀の足はまだ万全とは程遠かったという。
「甲子園はどの試合も仲井で行くかとも考えたんです。でも準々決勝を越すという目標があったんで。どうやったって仲井だけで越えることはできませんから。そこは痛み止めを飲んででも古賀に行けるところまで行ってもらおう、と。初戦の富島戦は、ほぼ3週間ぶりのピッチングだったので最悪でした。次の浜田戦はボール球を振ってくれたから助かったんです。そこへ行くと、この試合はまずまずでしたね。ただ、いつ、つかまってもおかしくなかった」
“ノーマーク”仲井の衝撃
大阪桐蔭が前田への継投のタイミングを計っていたのに対し、下関国際も常に仲井への継投のタイミングを見計らっていた。
古賀の故障は誤算だったが、それによる思いもよらぬ副産物もあった。坂原が言う。
「古賀のケガがなければ、仲井はここまで急成長しなかったと思いますよ。プロスカウトの方も、まったくノーマークだったって言ってましたから。山口大会で準決勝、決勝と一人で投げ切って、ものすごく大きな自信になったと思うんです」
終盤、その仲井が強力なゲームチェンジャーとなった。そして、下関国際の選手たちを、さらには観客の心を動かしていくことになる。
〈つづく〉