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「落合博満は練習嫌い」のウソ…当時チームメイトが語る“本当の落合論”「4割なんて打てるよ、と」「オチさんの目的は1つでした」
text by
岡野誠Makoto Okano
photograph byKYODO
posted2023/06/16 11:01
ロッテ時代の落合博満。当時チームメイトが語る“天才の実像”とは
86年3月1日の巨人とのオープン戦では、「キャンプ地の鹿児島のファンに姿を見せてほしい」と稲尾監督に要望され、「まだ試合でバットを振れる状態じゃないので三振でいいですか」と告げて、『4番・ファースト』でスタメン出場する。落合は、宮本和知の11球を全て見送って2打席連続三振。「5つ打てる球があった。でも、調整段階で左投手の球を打つとフォームが乱れる」と平然としていた。ベンチで見ていた水上はどう感じていたのか。
「『なんで打たない!』って思ってました(笑)。もし私が同じように見逃したら代えられちゃうなって。でも、少なくとも私の周りで、オチさんの振る舞いを悪く言う人はいなかった。だって、シーズンが終わると誰もが納得するような成績を残しましたから」
「4割なんて打てるよ」落合博満の真実
研究に研究を重ね、落合は自分に合ったフォームや調整方法を編み出し、何を言われても貫いた。独特の言動は“オレ流”と呼ばれ、「わがまま」「自分勝手」という解釈もされた。しかし、それはあくまでイメージに過ぎない。水上は「オチさんの目的は1つでした」と語る。
「誰よりもチームの勝利を考えていて、すごく責任感が強かった。だから、室内練習場で打ち込んでいたし、試合でも常に状況を考えていた。チームが一発を欲しい場面では狙うけど、繋いだほうがいい時はライト前に流す。『4割なんて打てるよ。ヒットだけ狙ってりゃいいんだろ? 50本だって簡単だよ。ホームランだけ考えてりゃいいんだろ?』とよく言ってました。でも、4番はそれじゃいけないという信念を持っていた。山田久志さんならシンカー、東尾さんならスライダーと相手エースの決め球を狙ってホームランにしていた。そのほうが敵にダメージを与え、他の打者にも良い影響を及ぼすと考えていたんでしょうね」
86年、落合は打率3割6分0厘、50本塁打、116打点で史上初の3度目の三冠王に輝く。今も破られていない歴代1位の出塁率4割8分7厘も記録した。しかし、オフに稲尾和久監督が辞任したのをきっかけに、世紀のトレードで中日に移籍してしまう――。
〈つづく〉
※1 82年7月8日付/スポーツニッポン
※2 82年7月8日付/西日本スポーツ
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