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最強助っ人レロン・リーが語る落合博満“40年来ずっと忘れられない姿”「勝者は嫌われがち」「私がいなければ打点王は無理だったでしょ(笑)」
posted2022/03/09 11:01
text by
ブラッド・レフトンBrad Lefton
photograph by
Hideki Sugiyama
「まさに先日電話したところでした。本当に懐かしく、楽しい時間でしたね」
球史に残る最強の“日米コンビ”が交わした久しぶりの会話――。
「年齢のせいか、お互いの健康にまつわる話が多かったですね。あとは子どもや孫についても。オチが元気そうでよかった」
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そう語るのはかつてロッテ(当時オリオンズ)で活躍したレロン・リー。電話の相手は当時チームメイトの落合博満だ。
4番落合の前を打った“最強助っ人”レロン・リー
80年代前半のロッテといえば、3番リー、4番落合が名を連ねる強力打線の印象が強い。落合はレギュラーに定着した1981年からの6シーズンの間に首位打者を5回、三冠王を3回獲得。リーも入団初年の77年に本塁打王&打点王に輝き、10シーズン連続で3割超え(うち1年は規定打席未到達)、本塁打283本という驚異的な数字を残した。なにせ生涯打率.320は日本プロ野球史上、4000打数以上記録した選手の中で歴代1位(2021年シーズン終了時点)である。
「野球の話もしましたよ。オチや私をはじめ、弟のレオンや有藤(通世)、山本(功児)らが並んだ“最強打線”の話は最高でした。オチが獲得した3度の三冠王の話にもなりましたが、彼の前に毎年約20本の二塁打と約150本のヒットを放った私がいなければ打点王は無理だったでしょ、って言いましたよ(笑)。本人も笑ってましたね。
一方、投手陣を少しでも補強していたら間違いなく優勝できたという話にもなりました。村田兆治という稀代のエースがいましたが、彼一人に頼ることは難しい。特に2年連続で前期優勝を果たした81年は、チームが好調だっただけに今でも悔やまれます。優勝候補と目され、選手たちも自信をもっていましたが、プレーオフで日本ハムに負けた。ポストシーズンはそれきりでした」
才能開花の裏にあった“レジェンドの打撃論”
メジャー時代、リーはカージナルスやパドレスなどでプレーし、通算8年で31本塁打、打率.250。しかし、その才能はロッテに移籍後いきなり開花する。前述したとおり、1年目に34本塁打と109打点でリーグタイトル二冠を獲得したのだ。
覚醒の理由を聞くと、間髪入れずにある名選手の名前を口にした。