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加藤豪将は“マイナー苦節10年”で何を得たのか?…MLB担当記者が振り返る、華奢な青年が“メジャーリーガー”になるまで「こちらが恐縮するほど丁寧に頭を下げ…」
text by
四竈衛Mamoru Shikama
photograph byJIJI PRESS
posted2023/06/13 11:03
NPBの日本ハムで活躍を見せる加藤。アメリカ生まれ、アメリカ育ちの彼をプロ入り後から取材してきたMLB担当記者が「10年間」を振り返る
打撃では、いきなり右翼後方へ初アーチをたたき込んだ。
その試合後、マイナーの試合でもあり、ヤンキースの広報は不在で、MLBの取材パスがあっても、クラブハウスの敷地内への立ち入りは禁止されていた。だが、数名の日本メディアがいることに気付いていた加藤は、駐車場の外壁付近で待つ報道陣に自ら近寄り、帽子を取って笑顔であいさつした。
去り際もお辞儀をして施設を後に
「皆さん、どこからいらしたんですか」
ニューヨークやロサンゼルスなどから訪れたことを知ると、「わざわざ遠くからありがとうございます」と、こちらが恐縮するほど丁寧に頭を下げた。多少ぶしつけな質問にも、ひと言ずつ明瞭な言葉で答え、去り際もお辞儀をして施設を後にした。米国育ちとはいえ、間違いなく、日本特有の上下関係や礼儀を知る、日本人の好青年だった。
毎年のように大型補強を続け、選手層の厚いヤンキースに所属した6年間で、メジャー昇格の目標は叶わなかった。それでも、20年2月、マーリンズでメジャーキャンプに招待された加藤は、満面の笑みを浮かべ、生き生きとしていた。
「ドラフトされた直後は、緊張があったんですが、今は自分がやれることをやればいい。人の目はあまり気にしないで、自分のことをやればいいと思っています」
何でも出来るというところを見てほしいです
大砲ジャッジらと一緒のグラウンドに立つうちに、加藤は自らが生き残るためにはどうすべきかを考え、試行錯誤を繰り返してきた。パワーアップに取り組んだ時期もあった。打撃フォームも、何度となく修正した。それでも、メジャーから声はかからない。
その結果、たどり着いた答えが、当時のメジャーで需要が高まり始めていた「ユーティリティー」に活路を見出す選択だった。