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加藤豪将は“マイナー苦節10年”で何を得たのか?…MLB担当記者が振り返る、華奢な青年が“メジャーリーガー”になるまで「こちらが恐縮するほど丁寧に頭を下げ…」
posted2023/06/13 11:03
text by
四竈衛Mamoru Shikama
photograph by
JIJI PRESS
環境の変化を受け入れることは、加藤豪将にとって、ごく自然なことだったのかもしれない。
今季から日本ハムでプレーする「逆輸入」の日本人ルーキーが、5月下旬のデビュー以来、10試合連続安打をマークするなど、早くもチームの中軸として活躍し始めた。日本人の両親を持つとはいえ、米国育ちの加藤にとって、野球だけでなく、日本の文化や習慣へ適応することは決して簡単ではなかっただろう。
記者が初めて「Gosuke Kato」を知った瞬間
だが、米国で10年間のマイナー生活を送り、計5球団を渡り歩いた加藤に、無用なマイナス思考があるとは思えない。むしろ、新たな出会いや経験を新鮮な気持ちで受け止め、糧にしてきたからこそ、新本拠地エスコンフィールドで、光り輝いているに違いない。
日時の記憶はない。「Gosuke Kato」の名前を初めて耳にしたのは、かつてパドレスなどで活躍し、レンジャーズ退団後もサンディエゴに在住していた大塚晶文氏(現中日投手コーチ)の言葉だった。米国生まれながら日本人の両親を持ち、ドラフト上位で指名される可能性が高い選手として、同氏と家族ぐるみの付き合いがある「加藤豪将」の存在を知った。実際、2013年6月の新人ドラフトで、加藤は名門ヤンキースから2巡目(全体66位)で指名された。日本国籍保有者としては最高順位で、1巡目(全体32位)で指名されたアーロン・ジャッジとも同期として入団した。
いきなりたたき込んだ初アーチ
同年6月21日、フロリダ州タンパのマイナー施設で行われたルーキーリーグでの初戦。名門ランチョ・バーナード高校を卒業したばかりの加藤は、体も華奢で、童顔で、傍目にも、か細く映った。ところが、グラウンドに立つと、イメージは一変した。イニング間のボール回し、グラブさばき、グラウンド全体への目配りなど、「玄人好み」で実戦向きのタイプであることは明白だった。当時18歳ながら、冷静かつ客観的な視野が、加藤には備わっていた。